一、吐蕃王朝期 (7-12世紀)
ソンチェン・ガムポが唐の太宗・李世民の娘である文成公主を娶る場面
ラサのジョカン寺の正門前にある「唐蕃会盟碑」
7世紀はじめ、強大な唐王朝が中原地区に成立、中国内地の300年にわたる混乱分裂の局面は終わりを告げた。それと同時に、今日のチベットのロカ地区ヤルン出身のソンチェン・ガムポが各地の部族を征服し、有史以来初の青蔵高原各部族の統一政権、吐蕃王朝を建てた。ソンチェン・ガムポは吐蕃と唐朝の往来を十分に重視し、中原における先進的な漢族の文化をおおいに吸収した。彼は二度にわたり、唐朝に大臣を派遣して求婚し、唐の太宗、李世民の娘、文成公主を娶った。このことにより、双方の往来は頻繁になり、政治、経済、文化の交流は広くまた深くなり、民間の往来も全面的に発展し、チベット族と中国のそのほかの民族との関係は、かつてなかったほど密接なレベルとなった。唐と吐蕃は、八度の会盟を結んでおり、今日に至るまで、ラサのジョカン寺の正門前には、「唐蕃会盟碑」が屹立している。この後、三、四百年の間、チベット族と北宋、南宋、西夏、遼、金などの政権は密接な連絡があった。