四、清代(1644年~1911年)
ラサにあるノルブリンカの壁画に描かれた、1908年(清代光緒皇帝34年)に慈禧太后が13世ダライ・ラマに会見する様子
1644年、清朝は都を北京に定め、中国を統一した。清朝は、歴史的な前例に従い、チベットにおいて主権を行使し、前王朝により封じられた官吏が前の王朝の官印を返上し、新王朝が授ける官印に改めさえすれば、元の地位は不変とした。1652年、チベット仏教ゲルグ派のダライ・ラマ5世は北京に召されて順治帝に拝謁し、翌年には、清朝によって正式に封じられた。後にパンチェン5世も康熙帝によって封じられた。ダライ・ラマとパンチェン・オルドニの封号と彼らのチベットにおける政治、宗教における地位は、これによって正式に確立し、以降、歴代ダライ、パンチェンは中央政府により封じられ、次第に定められた制度となっていった。
「チャイナネット」「人民中国」2009年3月27日