◆武器取引の多かった「蜜月時代」
C-130の対中輸出制限の取り消しは、1979年から始まった中米の短い10年の「蜜月時代」を思い出させる。その時代、米国はソ連に対抗するため、当時は軍事力が比較的脆弱だった中国と緊密な軍事交流を展開、中国部隊のそう多くない米国式装備はまさにここで役立つことになった。
当時、米国は中国に多くの武器を売却し、なかでも中国にとって比較的大きな支えとなったのがヘリコプター「ブラックホーク」だ。ナビゲーションシステムを搭載し操縦性に優れたブラックホークは、高原の飛行に非常に適していたことから、輸入されると主にチベット地区での輸送と偵察任務に使用された。そして08年の汶川地震の現場でも、救援、負傷者の搬送に活躍した。
◆対中武器禁止はやはり厳しい
80年代末、90年代初めに至り、東欧は劇変し、ソ連は解体。西側諸国は対中軍事技術と武器・装備の輸出を中断し、なかでも、米国はその主導者であり、対中武器輸出禁止への姿勢が最も強かった。軍事技術のほか、米国には一部、軍事に使用される可能性のある民用技術も売却禁止に盛り込むべきだとの考えがあった。
それだけでなく、米国の視線は同時に他の国にもしっかりと向けられていた。90年代中期、中国はイスラエルの戦闘機「ファルコン」を4機、総額10億ドルで購入して配備する計画があり、すでに契約に署名していたものの、米国の強硬な反対に遭い最終的に流産した。04年12月、欧州連合(EU)の指導者は公開で中国に武器売却の禁止を解除すると確約。この情報が伝わるや、米国はEUに多大な圧力をかけ始めた。当時のパウエル国務長官はそれぞれEU関係国の外相に電話を入れ、「必ず米国と歩調を合わせる」よう求めた。
◆解禁への道のりはまだ遠い