毛沢東と江青の結婚、許可が出るまでのいきさつ

毛沢東と江青の結婚、許可が出るまでのいきさつ。 党の学校で勉強していた頃から、江青と毛沢東はよく逢っていた。江青はわからない問題を教えてもらうことを口実にしては、足しげく毛沢東の家に通っていた。そして、彼らが付き合っていると言う噂は知らず知らずのうちに延安中に広まった…

タグ: 毛沢東 江青 結婚 披露宴

発信時間: 2010-12-09 08:58:33 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

毛沢東の秘書であった葉子龍は当時を思い出してこのように語っている。「1938年のある日、軍事指導者の賀龍元帥が延安を訪れた際、ふざけて毛沢東主席にこう言った。『めでたく結婚したのに、どうして酒の席を設けてご馳走を振舞ってくれないんだ?』それを聞いた毛主席はすぐに私に『子龍、宴会の準備をして、彼らを存分にもてなしてくれ』と言ったのだ。」

葉子龍はすぐに酒と料理を準備し、朱徳、周恩来、賀龍、王若飛などをもてなした。この後に、毛沢東はもう一度、祝いの席を設けている。徐明清と夫の王観瀾はその二回目の宴会に招待されていた。

「その日は日曜日だった。日本が初めて延安を砲撃した日だ」と徐明清は当時の様子を語った。資料にも1938年11月20日と残っている。徐明清と王観瀾は毛沢東の招待を受け宴会所に向かっていた。日本の爆撃による多くの死体が無残にも道に転がっていた。

毛沢東は「合作社」で宴会を開かず、鳳凰山の自宅に料理人を招いて料理を振舞った。その日は他にも、張聞天、李富春、蔡暢、羅瑞卿などが居た。江青は毛沢東の傍に座り、献身的に客にお酒を注いだり、料理を勧めたりしてもてなしていた。遠い昔の事なので、徐明清はそれ以上の詳しい内容は覚えていなかった。

(敬称略)

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