誰も彼も手を結んで「対中国」
西南諸島での中国に対する挙動は割りと一致しているようだ。防衛大綱を改定し、米軍と共同で軍事演習を行い、釣魚島問題を教科書に加える…などここ最近、石垣市職員2名が島に上陸した事に対し、政府が遠まわしに難色を示した事以外は、概ね調和が取れている。また、メキシコ・カンクンで開かれた「国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)」で日本は、地球の気候変動の元凶は中国にあると責めた。中国に対して日本は「軍」と民、政府と国民、そして中央と地方、いずれにしても一致団結している。
日本の中国への態度は賢明とは言えないが、矛盾はしていない。少なくとも、ロシアや朝鮮に対する論理性を欠いた政策や政策とさえ呼べないような代物に比べれば、ずっとましである。なぜこのような違いが生じたのか?この問題の答えを探ることは日本政府の外交政策を推し量るよりも重要性が高いだろう。
決定権は東京ではなく、ワシントンにあり
米国は既に北方領土問題には首を突っ込まないと断言している。米国は、朝鮮問題に日本が「口出し」するのは余計な行動であり、むしろ中国を引っ掻き回すことに手を貸して欲しいと考えている。これこそ、日本がロシアと朝鮮に対してはロジックのない行動を取るなか、中国に対してははっきりとした意図を持っている重要な原因のひとつである。日米安保理の枠組みのなかで、両国の利益が一致しているところに関しては、日本の頭は上手く回る。しかし、ワシントンがひとたび、日本の立場など気に留めなくなると、東京はどこへ向かえばよいか分からなくなってしまう。このような症状は、人質が犯人と長い時間をともに過ごすことによって信頼や好意を感じ、頼りにしてしまうストックホルム症候群という心理現象に似ている。米国と離れてしまうと、日本は思考停止し、何もできなくなってしまうのだ。