では、台頭する経済強国の中国が製造業で米国を上回る生産高を有することは、どのような軍事的意義があるのか。これは葬儀に似たところが多少ある。米中間の軍事対立は恐ろしいほどの経済的、人的損失をもたらす可能性があり、可能だとすれば、すべての人はこうした損失を回避する努力をしなければならないからだ。だが、次のような考えは玩味するに値する。英国人は1885年前後に製造業の主導的地位を失ったが、この点を意識せず、第1次世界大戦中に苦い経験を味わった時にようやく夢から覚めた。米議会は次の英国となり、目を大きく開いて世界が我々から遠く過ぎ去る時の経済システムに目をやりながら去るのだろうか。
答えを出せる時間しかないが、私はそうは思わない。第2次世界大戦中、米国は必要な時に製造業の能力を軍事工業産業へと高める驚くべき能力を見せた。自動車メーカーは改修されてタンクや飛行機を製造。米国は最終的に生産面で敵に打ち勝ったのである。個人的に言えば、私は米国の工業界が必要な時に有する創造の能力を低く評価することはしない。
また、戦争という性質は恐らく過去125年の間に変化したのかも知れない。1885年に英国は製造業の指導的地位を失った。当時は大部隊、機械化された戦争の時代であり、製造業の生産能力は軍事力を決定するカギとなる要素だった。だが今日は、私の古い上司であるラムズフェルド元国防長官の発言によれば、軍事力のカギは大規模な製造能力ばかりでなく、より重要なのは迅速で機動的な、協調性と精確性のある軍隊である。。これらはいずれも米軍が極めて得意とする任務であり、私たちのこの面での優位性が予見可能な将来が、衰退する可能性は大きくない。中国の国防工業は質と技術面でやや改善されたとはいえ、依然として何歩も遅れを取っているようであり、しかも近い内に追い越してくる可能性は小さい。従って、中国軍隊の奥の手は数で質の不足を補うことだ。
だが、私たちが永遠にこうした理論を検証する必要のないことを願う。英国の首相チャーチルの言葉を借りれば、貿易は常に戦争よりずっと素晴らしいのである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月23日