日本大震災 同胞救助で中国大使館の抜群の働き

日本大震災 同胞救助で中国大使館の抜群の働き。 3月11日の東日本大震災の発生から2カ月余りになる。この間、祖国は無数の在日同胞のことを心配し、在日同胞は在日本中国大使館を頼りにした。在日公館職員は大災害を前に職責を尽くし、同胞のことを気にかけ、何ものをも恐れない精神と強い責任感によって、国民の満足する働きをした…

タグ: 地震 研修生 避難 岩手 福島

発信時間: 2011-05-26 16:57:03 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

■同胞を捜して避難を手助け

宮城県第2の都市・石巻市の被災地では当時有線通信網が完全に寸断されていたため、現場で同胞を捜すほかなかった。第3次作業チームは鹿妻小学校で温州出身の研修生45人と山東省出身の研修生8人を見つけ出した。祖国の職員を前に、多くの研修生が感動の涙を流した。

謝書記官は「3月15日の後、私は再度茨城県に駆けつけた。私の携帯電話は大使館の対外連絡用電話として発表されて以来、鳴りやむことがなかった。在日中国人だけでなく、中国にいる家族からの問い合わせも途切れることがなかった。電話の内容は複雑で、私はどの電話も見捨てることはできなかった。携帯は熱くなり、声はかすれたが、この上ない安堵と喜びだった。茨城県の集合場所から計26台のバスを出し、1200人を無事避難させた。中国人の多くが『大使館職員を見て、温かみを感じた。祖国の配慮のおかげでパニックを忘れた』と述べた」と語る。

■援助実行のために奔走

中国政府は3月12日、日本への3000万元相当の緊急救援物資の提供と国際救援隊の派遣を発表した。同月15日には燃料油2万トンの無償援助も発表した。中国から日本への大規模な援助はこれが初めてだった。援助の約束を実行するため、日本側と引渡しの連絡をすることが、経済商務処の大きな仕事となった。

地震発生時、蘇斌二等書記官は商務部代表団と共に日本外務省の会議室で中日経済パートナー協議に出席していた。蘇書記官は強烈な揺れの中でも、会議終了まで職務を果たし続けた。その後、援助物資の引き渡しについて日本側との連絡を担当することになった。蘇書記官は援助物資の着く広島へ向かい、引渡式を取り仕切った。蘇書記官は国内と緊密に連絡を取り合い、日本側とも協議を重ね、援助物資と燃料油の日本到着を確保して、対日援助任務を成功させた。

在札幌総領事館経済商務室の楊立氏は深刻な津波被災地を2回訪れたほか、福島県に4回行き、中国人600人の避難の調整を行った。在大阪総領事館経済商務室の孫克強氏は新潟総領事館に応援に派遣され、中国人3000人余りの避難を支援した。大使館経済商務処の韓軼氏は地震発生時休暇だったが、放射能の危険が日増しに増大する中、毅然として東京へ仕事に戻った。

■日本の友人の親切な助け

     1   2   3    


日本人フルタイムスタッフ募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。