中国初の国産大型輸送機Y-20
中国国産のKJ-2000早期警戒機
中国初のステルス戦闘機J-20
2009年、国産のKJ-2000早期警戒機が国慶節の閲兵式に登場した。2011年、中国初のステルス戦闘機J-20が初飛行に成功した。2012年、2機種目のステルス戦闘機J-31が初飛行に成功した。2013年、初の国産大型輸送機Y-20が初飛行に成功した。わずか数年間で、中国空軍の新世代主力武器が続々と公開された。
◇中国軍の現代化は米国によるもの
新型武器は通常ならば10-15年間の開発期間を必要とする。中国空軍の上述した国産先進武器が開発を開始した時期は、20世紀末から21世紀初頭の間に集中する。1990年代から現在までに発生した局地的な戦争は、中国空軍の作戦および武器開発の考え方に大きな変化をもたらした。
1991年の湾岸戦争は、中国空軍のモデルチェンジにとって初の節目となった。軍事専門誌『航空知識』の王亜男副編集長は、「当時の中国空軍の建設思想は、冷戦期の旧ソ連の方式にとどまっていた。装備は依然として、旧ソ連のMiG-21をコピーしたJ-7、J-7を大型にしたJ-8が中心だった」と述べた。西側諸国は当時、中国空軍は世界トップ水準から20-30年間遅れていたと見ていた。当時米国が開発した世界初のステルス戦闘機F-117はすでに就役し、実戦投入されていた。B-2ステルス戦略爆撃機も公開された。湾岸戦争において、多国籍軍の部隊は早期警戒機の指揮を受け、情報面で圧倒的な優勢を占めた。各種軍用機はレーザー誘導爆弾を用い、かつ空襲の比率が陸戦の比率を上回り、その後の現代化戦争の大体の輪郭を浮かび上がらせた。王副編集長は、「米軍は湾岸戦争で、電子戦武器と正確誘導武器を大量に使用した。中国空軍はこれを受け、大きな開きがあることを実感した。解放軍は作戦環境の構想を、『一般的な条件下の局地的な戦争』から、『ハイテク技術による局地的な戦争』に切り替えた」と指摘した。