今月1-7日が国慶節(建国記念日、10月1日)に合わせた7連休となった中国。しかし、プロジェクトエンジニアの王鴻飛さんは、連休初日から、北京の亦創知能ロボットイノベーションパークにあるオフィスで忙しく働いていた。王さんが所属する会社は、昨年同パークに進出したロボット企業約20社の一つで、絶え間なく注文が入っている。そのため、王さんも休日返上で仕事に打ち込んでいる。一方、同パークの別のエリアでは、約半月後の「2016世界ロボット大会」開催に向けて、作業員が会場設営の工事を行っている。人民日報海外版が報じた。
時間を30年前の1986年にまで巻き戻すと、そこには老舗国有企業である北人集団の印刷工場があった。当時、中国政府が「ハイテク研究発展計画(863計画)」を実施し、ロボットの産業化がここで幕を開けた。
現在、中国の産業構造は転換期を迎え、質的な変化を遂げている。この間にどのような時代変化が陰にあり、中国のロボット産業はどのような起承転結を経験しているのだろうか?
「冠を飾る宝石」を探す
81年ごろ、北京機械工業自動化研究所は既にロボットプロジェクトの研究を始めていた。当時、ロボットの研究は日本でもまだ発展を始めて10年しか経っていなかった。
「第7次五カ年計画(86-90年)」が実施されていた86年、中国政府は専門家を組織して、国際的なロボット技術の追跡研究を行った。業界内の専門家の言葉を借りれば、中国のロボット研究は長期にわたって壁にぶつかっていた。