ブログ:クリスマス著作権 パート1

ブログ:クリスマス著作権 パート1。 日本に滞在していると、なにかこう街の雰囲気がせわしない「師走」を実感できます。同様に僕が以前住んでいたイギリス(その他欧米圏)などでも、クリスマスに向かって動き出しているセール中の店舗を見ると12月は他の月とは異なった雰囲気を街全体が醸し出しているなぁと思います…

タグ: 副題~見えざる情報からの不満、批判という刹那の免罪符、そして真面目さという幻想からの救済

発信時間: 2010-12-08 11:37:36 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

このように概念を捉え直すことで、新しい示唆ができると思います。それは、「外来の行事」も真の「文化行事」になりうるということだとおもいます。「外来の行事」は「伝統的な1年区切り」と異なりますが、それは単に歴史的な蓄積が浅いので「文化行事」になっていない、ひいては、街全体の雰囲気を生成する要素になっていないといえるわけです。そうであるならば、これからさらに、各国で「外来の行事」の歴史が深まり、さらに近代では営利組織(大規模ショッピングモールから街の小規模店舗まで)によって、大々的に広められるというイベントと商業主義のリンケージ特性を持った上で、それらは「文化行事」になっていくことの可能性は十分にあります。

以前は、日本にとっては、元日を挟んだ年末年始が「伝統的な1年区切り」で唯一の「文化行事」であって、クリスマスは「外来の行事」で本ブログ表現での「文化行事」ではありませんでした。中国にとっては、春節が「伝統的な1年区切り」で唯一の「文化行事」であって、クリスマスや元日を挟んだ年末年始は「外来の行事」で「文化行事」ではありませんでした。

今ではこれが、日本においては、もはやクリスマスは商業主義の媒介によって、社会に吸収され、土地に染み付きました。そして「外来の行事」ではありますが「文化行事」と十分に呼べるほどの深さと広さをもつようになってきています。これから、中国でも「外来の行事」のクリスマスや元日を挟んだ年末年始が「文化行事」となっていく可能性は大いにあるかと思います。

まだ時間は係ると思いますが、中国の都市部でも農村部でも表面上ではなく、「西方的文化だから自分にはそれほど関係ないね!」というどこか隔離したような根底にある気持ちが「クリスマスだから飾り付けをしてみようかなぁ、すこし豪華なディナーをとろうかなぁ」などと変化し始めたら興味深い変化ですね!

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