ブログ:クリスマス著作権 パート2

ブログ:クリスマス著作権 パート2。 今の日本の産業が停滞に直面している要因は、過去の「匠の技術」の成功体験が故に、自国が「匠の技術」に過度に頼りすぎることと、自国でも他国でも「模倣」を一様に否定することであると思います…

タグ: ~見えざる情報からの不満、批判という刹那の免罪符、そして真面目さという幻想からの救済 

発信時間: 2010-12-13 13:11:18 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「模倣」をマネジメント課題として対応することは重要です。これは決して、知的財産権を積極的に侵害すべしといったような誤った解釈ではなく、知的財産権を確保するという事に対し、グローバル化したビジネスの中で生き馬の目を抜くような速さで対応していかなければならないということです。例えば、ある企業が自ら開発した製品やサービスを他企業が知的財産として権利確保(当該企業が所在している国であっても国外であっても)してしまえば、それは他企業の財産になってしまいます。その模倣を単に批判したり、またその権利確保を怠っていては始まらないということがここでの重要な示唆であります。「模倣」は倫理の問題ではなく、客観的なビジネス上の競争行動と捉えて、競争に打ち勝っていかなければなりません。

また、「匠の技術」はたしかに尊いもので、日本が誇れるものでありますが、実はその反面「創造開発」というまったく新しい概念・イノベーティブな概念に行き着く思考経路(path)を阻害することも考慮しなければなりません。「匠の技術」は、時にはマーケット需要すら軽視するほどの技術的精錬であって「ビジネス的には無駄」な要素も産んでしまいますし、規模の経済性を得る個人に依らない組織としての「匠の技術」のために効率性を上げプロセスに分割しオートメーション化すれば、「創造開発」が低減されてしまいます。これは「個人の匠(職人)」である場合には、その職人は、腕(技術)と頭(創造開発)を両方備えているわけですが、大規模オートメーション化時に「頭」の能力は削ぎ落とされるからです。

面白いことに、経営学的な日本での見方としては、欧米の「創造開発バイタリティー」、日本の「匠の技術バイタリティー」、そして中国の「模倣バイタリティー」というような区分を往々にして見ます。これは非常に日本的で、自らの文化を過度に誇らしく思いながらも、欧米へ技術キャッチアップできないことへの言い訳や、中国の不安定制度に対応できない日本企業の不満を表したものとなってしまっているでしょう。欧米への不満の問題は、先に業界スタンダードを構築してしまうビジネスモデルへの批判に端を発し、中国への不満の問題は、「模倣バイタリティー」のみが「悪徳」とされるラベリングに端を発します。実際には「模倣」は実施する側も阻止する側も経済的合理性にしたがって行われるもので、両サイドの競争関係の結果、制度的線引きがなされます。

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