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中日両国の歴史観:その相違と解決への道 |
発信時間: 2008-11-07 | チャイナネット |
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私は、この問題の解決にあたり、歴史観の相違が生じる根本的原因をはっきりさせる必要があると考えている。そして、歴史観の相違が生じる根本的原因をはっきりさせるためには、まず歴史観の中身を明らかにした上で、どうしてこのように大きな歴史観の相違が生まれたかについて検討しなければならない。このプロセスを踏むことで初めて、解決方法についての議論がスタートできる。
先ほど述べたように、歴史観は当然史実に基づいたものであるが、史実に基づくだけでは、相違の問題を解決することは不可能であろう。なぜなら、史実は人の解釈に基づくものであり、同一の史実に対する各人の解釈は、彼らの身分、経歴、利益、立場の違いによって、往々にして大きな相違を生むからだ。
たとえば、鄧小平、江青、巴金の3人が、「文化大革命(文革)史」を書いたとしよう。どのようなことが考えられるだろうか?3人とも「文革」に関わっており、それぞれが自らこの「革命」の全過程で「指導者」の役回りを演じたが、「文革」とは一体、どのような運動だったのだろうか?「文革」はなぜ起こり、なぜ失敗したのか?その歴史的意味は?思考と総括に値する経験や教訓はあったのだろうか?これらの問いに対する3人の見解と評価には間違いなく、天地ほどの差がある。しかも、たとえ(彼らが輪になって相談したと仮定して)どのような話し合いが行われたとしても、意見の一致に達することは絶対あり得ない。その原因はまさに、彼らの身分、経歴、利益、立場が全く異なることによる。従って、彼らの見解が一致することはない。ここに関わってくるのは、単に革命と反動体制、正義と悪という問題だけではない。江清は反動分子であり悪であると言うことは可能だが、鄧小平と巴金の見解の相違があまりにも大きいのはなぜか?彼らの身分、経歴、利益、立場の違いから生じる、問題に対する思考・見解のスタンスおよび方法が異なることが、その根本的原因といえる。
このことは一般人も同様であるだけでなく、史実の真相解明を人生の目的としている歴史学者にとっても同様だ。19世紀以前、歴史学者の歴史観はほぼ一致していた。少なくとも、史実の真相解明を追い求める歴史学者は、同じ歴史観を共有し、史実の真相はただひとつだった。ドイツの著名歴史学者・レオポルト・フォン・ランケ(Leopold von Ranke)はかつて、「歴史学者の務めは、『歴史の事実をありのままに著述する』ことだ」と語った。これは、歴史学に携わるほとんど全ての人の座右の銘ともなる考え方として尊ばれた有名な言葉である。中国の歴史学者も、例えば「歴史学者は『史実に基づきありのままを』、『悪を隠さず、美を繕わず』に歴史を記述しなければならない」 など、ランケと同様の意見を述べている。このように、事実に基づき真実を求め、起こったことをありのままに歴史を記述する姿勢の大切さを強調する時代があった。しかし、その後歴史観が発展し、歴史学者は「事実に基づき真実を求めて歴史を記述する」ことが彼らの主観的目的の追求のひとつにすぎないことを次第に理解するようになった。ここから、彼らの観点や見解が事実上、完全に一致することはあり得なくなった。
たとえば、各国の歴史学者が第1次世界大戦後、この大戦に関する多くの著作を書いた。その結果、歴史学者にとって驚くべき事実が判明した。各著者は身を持ってこの大戦を経験・理解し、「歴史とは史実をありのままに記述する」という崇高な原則に則るよう努力し、かつ個人の偏見を可能な限り排除しようと試みた。しかし、実際には、戦争の原因や各国政府の態度・責任といった問題を含む多くの重要問題に対する各国家・民族の歴史学者による判断と評価には、極めて大きな相違があった。そして、各国家・民族の歴史学者は、具体的な評価・著述において、知らず知らずのうちに自分の国家と民族の行為を擁護する立場を取っていたのだ。敗戦国の歴史学者でさえ、同様だった!世界各国の歴史学者は、この事実をきっかけに、ひとつの重要な問題-歴史観における主体と客体の関係についての問題-に関して、思いを巡らすようになった。そして、時代・環境および自分自身の立場を決定・制約する人々の歴史観、思想、感情、方法、視座、条件の相違が原因となり、精確に、根本を見失わず、史実に完全に合致した形で、歴史を解釈することは事実上極めて実行困難であることを彼らは次第に理解するようになった。しかし、史実に少しでも近づくことは不可能ではない(もちろん、主要な演繹的歴史認識法に基づけばという条件だが)。だが、このような史実に迫るプロセスにおいては、特定の時代や特定の個人の痕跡がどうしても残ってしまう。歴史学者は常に、自らが置かれた時代、提供される条件、直面する課題に向き合い、各人が積み上げてきた歴史に対する意識や考え方を基盤として、ユニークな歴史観を築いていくものだからだ。
問:例えば靖国神社参拝といった問題はいずれも少数の日本の右翼が起こしたもので、日本人民の観点を代表するものではないという論調を私たちはよく目にするが、そうだろうか。 |
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