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中日両国の歴史観:その相違と解決への道
発信時間: 2008-11-07 | チャイナネット

第2のレベルの解釈は比較的複雑で、人類の発展全体の過程から話す必要がある。最も概略的に述べれば、文明の初期を含めた人類社会の発展の初期に、それぞれの地域の人類がいずれも部族や古代の血縁民族構造の中で生活していた時には、既に階級と階級の対立は存在したものの、一つの部族または血縁民族は一つの「利益共同体」であり、少なくとも大体の意味においてはそのとおりだった。例えば、古代ローマが大規模に拡大してすさまじい勢いで捕虜を捉え奴隷を売買していた時、利益を得たのは奴隷の主だけではなく、多くの一般のローマ市民も含まれていた。部族と血縁時代にある人類社会では、喜びと悲しみを共にする「利益共同体」は同じ部族と同じ民族であり、また同じ部族と同じ民族以外の他人は、利益の違いによって友人か敵となり、その間の関係は言ってみれば唯の利益上の考慮から来るものだった。故に、カエサルはかつて誇らしげに「敵の死体で城壁を築く」という「英雄的行為」を誇らしげに讃えたのだ。またチンギス・ハーンも男たちを集めて「敵を殺し、その子供たちを奴隷とし、その妻たちを妾としろ」と述べている。こうしたやり方は単なる統治者個人の見方ではなく、その時代の価値観であり、広範な人民を含む全ての部族メンバーから認められていたものだ。

実は、人類文明の初期だけではなく、最近の時代やひいては現代でもそうなのだ。清朝に入ってから、満族の貴族は依然として最大の利益を得ていたが、一般の旗人も毎月何もせずに銀2両を手にする高級階層で、働くことなく利益を得ることができた。これも典型的なケースだ。

 

同時に、近・現代の部族または民族の間の争いの残酷さも古代と変わりがない。例えば数年前にアフリカで発生した、フツ族とツチ族の間での権利と生存空間を巡って繰り広げられた争いでは、100万人にのぼる異部族の人間が老若男女を問わず皆殺しにし、全く悲惨な情況だった。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺では、大量のユダヤ人の金持ちも含まれていた。これは部族や民族間の争いには特定の内情があり、簡単に「民族紛争の問題は、極論すれば階級闘争の問題だ」という判断で説明することはできない。

 

このことからわかるように、「人民の利益」は具体的に運用する際には、抽象的に議論する時のように簡単ではなく、必ず具体的な状況に基づき分析する必要があるのだ。特に民族や国家の関係に関連する場合、「人民の利益」は空虚な概念によって解釈することはできず、国家や民族の利益全体と関連させる必要がある。

 

こうした角度から言えば、人類が自ら関心を持ち気を配っている範囲の拡大は、最終的にはその「利益共同体」の拡大の範囲によって決定される。これは科学技術や経済の発展、また発展に伴う道徳の進歩や概念の変化を拠り所とする必要がある。最も明らかな一つの例がある。わずか6、70年前にはヨーロッパでは種族絶滅の惨劇が発生していた。しかし今日では、ヨーロッパ各国間の境界の概念は徐々に小さくなり、「ヨーロッパ共同体」と呼ばれるようになっている。私がヨーロッパを訪れた時にはオランダ、ベルギー、ドイツ、フランスの各国を巡ったがビザは全く不用だった。これこそ実際の証明だ。当然現在のヨーロッパでも国家や民族のそれぞれの面での違いや区別は依然として存在し、また予測可能な未来でも消滅することはないだろうが、こうした違いや区別が徐々に薄れているのも間違いない。

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