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中日両国の歴史観:その相違と解決への道
発信時間: 2008-11-07 | チャイナネット

: どうやら、人類の歴史のプロセスは非常に複雑なようだ。

: 確かにそのとおりだ。簡単に言えば、人類社会は常に「おそらくこうなるだろう」という考えに基づいて発展しており、「こうなるべきだ」という方向に発展するものではない。また「おそらくこうなるだろう」という諦観は、利益と争いとの間の調整によるのだ。こうした利益と争いとの間の調整の結果が人類社会の発展の方向性を制約し、様々な個人や民族、国家の認識の相違をも決定づけている。

 

: こうした相違を縮めるか埋めることはできるのか。

: 可能であることは間違いない。少なくとも、相違を縮めることは可能だ。重要なのは我々がどのように行うかということだ。

 

: ではこうした相違を縮めるための現実的な解決方法とは何か。

: 理性を基礎とし、事実に基づき、大同を求め、小異を残すことだ。

理性を基礎とするとは、世界の歴史の発展の方向性を見極めることだ。今日のこの時代は既に人間が自分の部族の利益だけを考え、他は一切顧みないという部族時代ではない。今日のような情報化、グローバルな経済一体化が加速し、人類が数百年にわたって生活してきた星が「地球村」と呼ばれる時代では、人類全体の利益がかつてないほど緊密に関連しあい、各国・各民族の違いは依然として長期的に存在するだろうが、一体化の傾向は加速し続け、またこうした傾向は既に逆もどりできるものではない。そのため、資源の浪費や環境汚染といった事のように、既に単純に発生地と発生国だけの事ではなく、人類全体の利益と運命に深く関連しているのだ。こうした変化に伴い、人類全体の概念にも対応した変化が起こっている。中国もそうであり、例えば過去の闘争の強調から今日の調和の強調へ、過去の単極化から多様化、ウィンウィン、歩み寄りの強調へと変化している。これは人類は今日の情況において、次のようなことをますます明確かつ深くに認識するようになっているためだ。友好と協力のみが進路であり、友好せず協力もしないのでは双方を傷つけるだけだということだ。

そのため事実に基づき、すなわち基本的な共通認識に立った上で事実をはっきりさせる必要がある。日本が近世において中国と東南アジア各国を侵略したのは疑いない事実であり、この点は理性と正義感のある日本人はいずれも認めている。

(以上の見解から、(両国国民、政府、学者を含む)中日両国の歴史観に相違が存在するのは、必然の結果だと結論づけられる)

「人民網日本語版」2008年11月7日

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