王衆一 賈秋雅=文
都市における水は人間の血液のようなものである。水で知られる多くの都市と同じく、大阪は水のそばに生まれ、水を利して栄え、水によって困らされ、水のために考えてきた。大阪の水の世界をそぞろ歩けば、日本の水都の鼓動を感じることができるはずだ。
水の世界を歩く
「スーパーマリオブラザーズ」同様に下水道管に入り込み、ロマンチックな「桜のトンネル」をくぐり抜け、涼しくさわやかな「水上の回廊」に至り、にぎやかな「(清明上河図ならぬ)大阪上河図」から、科学の最先端の「現代の水都」へ時空を飛び越えていく……。大阪館は水を手がかりに、三つの展示ブースで水都・大阪の歴史、都市の魅力、環境技術を、来場者の目の前に「みずみずしく」示してくれる。
水路が集まる大阪中之島。「水都」の風格がよく表れている(写真提供・大阪市)
「大阪館の展示はほとんどが大阪現地で見られるものです」と、大阪市計画調整局の長谷徹氏は言う。パビリオンの正面(ファサード)デザインは大阪のイラストレーター・形部一平(ぎょうぶ いっぺい)さんの「NEW WORLD」で、長さ30メートル、高さ3.2メートルで、大阪の伝統と現代が余すところなく描かれている。入り口通路は大阪の地下に埋設されている下水道管で、直径6.5メートルと実物と同じ大きさになっている。通路の壁面は映像と照明によって、日本では誰もが知っている大阪造幣局の「桜の通り抜け」を再現しており、来場者は自分が桜満開の大阪の春の中に身を置いているかのように思える。水上の回廊は大阪の街を一周する水路であり、「大阪上河図」は豊臣秀吉の時代のにぎやかな水辺の古都に連れて行ってくれ、各種先端環境技術の展示は大阪の都市生活の中の至る所に存在するものである。水の世界をそぞろ歩けば、大阪の魅力を感じられると同時に、大阪のあらゆる場所に存在する「水の知恵」を体得できるのである。
水都の知恵
大阪館の入り口通路は大阪の有名な「なにわ大放水路」を模している。この放水路は総延長1万2200メートル、最も広い場所で直径6.5メートル、日本最長最大の都市下水道である。
なぜ、これほどまでに大規模な下水道網を造る必要があったのだろうか。大阪市水道局および大阪市建設局関係者は直接答えてはいないが、水都の歴史がそれを雄弁に語ってくれる。
大阪は1400年以上の水辺の街としての歴史を持つ。その主要な水源は淀川にある。上流の宇治川、桂川、木津川の三つの河川は合流して淀川となり、東から大阪に入り、西の大阪湾に注ぎ、沖積した土砂によって大阪平野が形成された。川と海に面した大阪は水によって栄え、水によって苦しめられてきた。昔から、大阪は土地が低いため大雨になるたび洪水に見舞われてきた。大阪の人たちは堀をめぐらし、橋を掛け、洪水を排出するなど努め、そのすぐれた技術で日本中に知られた。江戸時代(1603~1868年)には、「八百八町」の東京、「八百八寺」の京都に対して、大阪は「八百八橋」と呼ばれた。ここにも大阪の「水の都」としての風格が見て取れる。
明治維新以後、人口増加と都市の発展に伴い、大阪では水質汚染問題が浮上してきた。近代以降は、急速に発展する工業化のプロセスにより、大阪は用水と汚水排出などでさらなる難題と向き合ってきた。工業用水の際限ないくみ上げで地盤沈下が起き、節度のない汚水排出と下水道などインフラの立ち遅れから、生活用水が消失の危機に瀕するほどの汚染を招いた。河川は『千と千尋の神隠し』の体中傷だらけの川の神と同様に変わり果て、見る影もない姿になってしまった。大阪は汚水にまみれた「汚水の都」になってしまったのである。
大阪道頓堀の川沿いにびっしりと並ぶ広告。美しい水環境が商業の繁栄をもたらしてきた(撮影・賈秋雅)
「大阪の水環境を再構築し、水の都の名声を取り戻そう」と、1985年3月から2000年4月まで、大阪は15年の年月を費やし「なにわ大放水路」を建設した。この放水路によって、雨が集中する時に大量に貯水を行い、同時にすばやく放水を行うことができるようになった。昔からの水はけ問題を根本的に解決しただけでなく、もともと下水道が持っていた汚水排出能力をも高めたのである。
「なにわ大放水路」などインフラ整備のほか、大阪は熱エネルギー転換、海水淡水化、汚水ろ過、光エネルギー緑化などの環境保護技術の応用を通じて、「汚」名を返上し、水環境先端都市となることを目指している。万博浦西エリアのベストシティ・プラクティス区B4-1号館で、大阪は「水都・大阪の挑戦」を全世界に向けて発信している。
人民中国インターネット版 2010年7月2日