「中国チベット学者・活仏代表団」が18日、日本訪問を終えた。訪日中、代表団は日本各界の人々と幅広く交流。14日午後には東京で日本の各メディアの記者と懇談した。参加した記者の大部分は、中国駐在歴のあるベテラン記者だ。
日本人記者:チベットは以前は独立国だったのか?
チベット学者:チベットは中国の一部分であり、チベット族は中国の56の民族の1つだ。チベットは元朝の時にはすでに中国の行政区画に組み入れられていた。13世紀中葉から元朝、明朝、清朝と中華民国を通じて、中央政府は一貫してチベットで主権を行使し、チベットに対して効果的な管理を実施してきた。事例を2つ挙げよう。第1の例だ。1940年代に、ある中国人が米国で教師をしていた。ある米国の空軍学校の学生から「チベットは20世紀初めには独立国だったと聞きましたが」と質問された教師は「当時のニューヨーク・タイムズに、そうした記述があるか調べてみるといい」と伝えた。その後、学生は教師に「当時のニューヨーク・タイムズを調べましたが、確かにそうした記述はありませんでした。チベットは中国の一部だと認めます」と報告した。第2の例だ。中華民国期の参議院にはチベットの代表がいた。もしチベットが独立国なら、中華民国の参議院にどうして外国の代表がいるのだ?
日本人記者:欧米の一部首脳はまだダライ・ラマ(14世)と面会している。なぜ彼はまだ国外で影響力があるのか?
チベット学者:確かに考えさせられる問題だ。ある学者は、チベット問題は現代世界のホットな問題を全て含んでおり、人権、博愛、平和、環境保護、文化継承などに関わってくると分析する。西側諸国の一部政治家は「チベットはシャングリラだ、この世の浄土だ、人類の失ったすべての素晴らしいものがある」と考えている。チベットに注目しなければ、先進国の政治家ではないというのだ。実際には、旧チベットがシャングリラであったことはないし、彼らの想像する浄土や楽園でもなかった。別の角度から話すと、チベットは一部の国にとって世界戦略の1つの駒となっている。実はチベットを理解するのは別に難しいことではない。チベットに行って少し見てみれば、自分の考えや見解がすぐにまとまる。私はチベット僻地の農奴の家庭に5人兄弟の1人として生れた。私は中央民族大学の教授で、兄弟には医者、教師、検察官などがいる。私たち兄弟の成長からもチベットの発展と変化を見ることができる。旧チベットでは想像もできなかったことだ。