文化に排他的な側面はない
晨報:数多くのネットユーザが蔣豊氏の記事を「漢詩への侮辱」と言いますが、どう思われますか?
王錦思氏:このような考え方は間違っています。文化は排他的な側面を持たないからです。何かあるとすぐに自国文化のプライド云々の問題に発展するのはよくありません。俳句が国際的に影響を及ぼす力は日増しに強くなっていますが、これと同じく、日本人の多くが漢詩への興味を高めています。例えば、毎年大晦日には必ず多くの日本人観光客が蘇州市にある寒山寺に除夜の鐘の音を聞きに訪れます。このほか、日本では「吟道」は、俳句だけでなく漢詩を朗詠することも含みます。今日でも多くの日本人が漢詩を詠むことができます。それぞれの文化をお互いが学び、尊重し合うべきなのです。我々は、中国の伝統文化が日本に与えた影響を見るのだけでなく、日本文化が我々に与えた影響もよく見なければならないのです。
晨報:日本文化が我々に与えた影響とはどのようなところに現れていますか?
王錦思氏:主なもので2つあります。一つ目として、中国では消失してしまった文化が日本で残っており、長い年月を経てまた中国に戻ってくるというものです。例えば、書道家によって建てられた「筆塚」は、唐の時代に非常に流行し、その後は消失していきました。清朝末になって逆に日本から伝えられ、この風習が少しずつ中国に戻ってきました。二つ目として、日本は中国の伝統文化を土台とし、さらに進化・創造した文化が生まれ、それがまた中国に影響を与えています。例えば、西郷隆盛が詠んだ詩とされている「男児志を立てて郷関を出づ 学もし成る無くんばまた還らず 骨を埋む何ぞ期せん桑梓の地 人間至る処青山有り」は、実は幕末の僧・月性が詠んだ詩の替え歌です。でも20世紀初めに中国に伝えられ、大きな反響を呼びました。毛沢東はその中の2文字をさらに替え、父親に贈ったとされています。これは、文化が互いに影響し合うのはよくある現象だということを表しています。本場のものが時代を先駆けるべき、という考えを持つべきではありません。