中華文化はどのように日韓に影響を与えたか

中華文化はどのように日韓に影響を与えたか。

タグ: 中華文化 日本 韓国 影響 中国 朝鮮

発信時間: 2010-11-19 14:11:26 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国から日本への移民もかなり早い時期だった。紀元二、三世紀の秦漢期に、一団の中国人が日本に移民したが、その象徴的な代表人物が良く知られている徐福である。徐福は秦の始皇帝を騙して三千人の童男童女と工具、種子などを携えて海を渡った。「徐福東渡す」は司馬遷の『史記』の最も早い時期の記述である。ただ司馬遷は徐福が日本に到着したとははっきり書いてはおらず、後に中日の両国の伝説でいずれも徐福が古代に中国から日本に移民した代表的人物として伝えている。当時の日本は採集を主とする「縄文時代」から農耕を主とする「弥生時代」に進化する時期であり、この発展は中国からの移民が携えてきた先進的な生産技術と関係がある。この点は日本の学者も認めている。その後中国から日本に行く移民は絶えることがなく、魏晋南北朝、隋唐、明清の各時代にもあり、たとえば明末期の有名な思想家朱舜水と隠元和尚などもいた。

日本の和服・茶道は中国古代の漢服、茶芸の深い影響を受けている

第二は使節の派遣である。西暦一世紀から七世紀は朝鮮半島は三国時代であった。三国とは一つは高句麗、一つは百済、一つは新羅である。この三つの国はいずれも中国と使節往来の関係があった。日本の使節派遣もかなり早く、倭奴国は早くも西暦一世紀頃、当時の後漢王朝に使節を派遣し、後の倭五王の時代にも中国に使節を派遣して進貢している。特に日本の奈良平安時代に至って大型使節の派遣を開始した、即ち遣隋使、遣唐使を当時の中国の隋王朝と唐王朝に派遣し、中国の経済、文化、制度、芸術等を全面的に学び、日本社会の進歩を推進した。日本歴史上の第一回目の改革「大化の改新」は、即ちこのような習得を基礎として行なわれたのである。明王朝の頃には、日本は更に遣明使を派遣し、朝鮮は李朝時代の初年から明王朝に使節を派遣しており、その総計の回数は三百余回にもなった。清朝になると李朝の使節は五百余回にのぼり、大量に中華文化を吸収した。

第三の径路は留学である。早くも隋唐の時期に、少なからぬ日本や朝鮮の留学生が中国に来ている。更には留学僧、即ち留学した僧侶もおり、かなり有名な留学生が阿倍仲麻呂である。唐王朝期には国子監には新羅留学生は二百人余りおり、中には中国の進士に合格する者もおり唐王朝で官吏となって仕えた。宋代、元代、明代にも更に多くの日本の僧侶が渡来しており、入宋僧、入元僧、入明僧と呼ばれた。

第四は貿易である。朝鮮は中国に対し主として朝貢貿易を行なった。日本は対中国で宋、元の時期には主に民間貿易、明代には勘合貿易、清代に至ると信牌貿易を行なった。(筆者は北京大学歴史学部の王暁秋教授)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年11月19日

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