多くの形見に中で、坂本さんのカメラは山崎さんの書道作品に熱心に向けられた。山崎さんの書体はとても特徴的だった。なかでも山崎さんが好んで書いていたのが「離人無語月無声、明月有光人有情(『明月夜留別』李治:離れ離れになる人は言葉なく、月もまた声なく、明月には光があり、人には情がある)」という唐詩の一句だった。
坂本さんは102歳まで長生きした山崎さんが生前に記した「健康の秘訣」を見つけた。「私は一人の医師である。私は全身全霊で自分のやるべき仕事をしている。病人を治し、彼らを救うことに尽力することは私の生きる道である。これこそ私の健康の秘訣である」と山崎さんは書いていた。
坂本さんは1980年代以降に生まれた一日本人として、自分は本や映像でしか中日両国が経験してきた歴史を知らないと言っていた。しかし、山崎さんの数奇な人生を通して、彼は中国とそこに生きる人々への理解を深めただけでなく、日本と日本人についても感慨を覚えたのではないだろうか。
取材が終わると、坂本さんは山崎さんが良く口にしていたある言葉で我々に別れを告げた。「友情よ、永遠に!」
「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年12月8日