中国ブランドが極端なほど知られていない日本でも、最近では「アリババ」、「タオバオ」などの中国語のネーミングが時々マスコミに登場し、名声を少しずつ獲得している。中国で市場開拓や市場調査をしようと、とりあえずタオバオへの出店を試みる経営者も出てきている。
しかし、中国の電子商取引(EC)に関しては、多くの日本企業には専門知識がなく、どのように自社製品をアピールしたら中国の消費者に素早く理解してもらえるか、迷っているのが現状だ。そこで中国ECへの水先案内人として登場するのが、今回の北京ログラス社だ。同社はWEB制作から、SEM、アフィリエイト、ECサポート業務を通じて、日本企業の中国展開を手伝っている。
2006年に創業し、清華大学正門の近く、中国のシリコンバレーと言われる中関村に本拠地を置く北京ログラス社は、日本企業だけでなく中国企業に対してもその水先案内人の役割を果たしている。「80後」(バーリンホウ、中国語で1980年代生まれの人を指す)の山本達郎社長に、中国EC市場とログラスの成長戦略について聞いた。
(聞き手/在北京ジャーナリスト 陳言)
ネットと電子商取引の新天地を求めて
25歳で再度、単身中国に渡る
――個人事業主を別にして、中国でも「80後」の創業者はそれほど多くはありません。海外へ、しかも競争の激しい中国によく来られましたね。
もともと最初に中国に来たのは、大学時代でした。ベンチャーを勉強するサークルに入って、アメリカや中国の勉強会に参加し、1~2週間で勉強した経験があります。その時に、香港・広州・上海・北京を見て、中国の勢いを非常に強く感じました。
大学を出た後、すぐ中国へ留学に来ました。その次はアメリカの大学に留学して、ビジネスの勉強をしています。その後、日本でしばらく働きましたが、会社を創ることになり、中国でビジネスがしたいと思い、25歳の時に再度中国に来て会社を創りました。
海外に来てからは、イチロー(鈴木一朗)やナカタ(中田英寿)といった外国で活躍する日本人により注目するようになりました。彼らは日本人に自信や勇気を与えてくれると思いますので、自分もそのような存在になれるようにと思いますし、そのような日本人がこれからたくさん出て欲しいと思っています。
――会社を起こすには、それなりの資金が必要です。インターネット関連に決めた要因は何ですか。
自分で会社を創ろうと思ってはいましたが、例えば会社と言っても、八百屋さんだって立派な会社です。でも、今から普通の会社を作っても、大きく成長して、世界で活躍することは難しいと思いました。アメリカを見ていたし、その後、日本では携帯関連の仕事をしたので、将来的に世界で通用するような仕事をしたいと思いました。
ただし、それでいて資本がそんなにかからないものには何があるかと、いろいろ調べてから、インターネット関連の企業を作ろうと思いました。最初に大きな元手がかからず、かつ最先端のビジネスモデルや技術によって、世の中の役に立てるもの。大きく世界で発展するには、「成長している市場」で、「成長している産業」で起業したいと思い、中国でインターネット関連ビジネスをしようと決めました。
制作、SEM(検索エンジンマーケティング)なら大した資本金もかからないし、成功してからまた資本を投入しようと思って、成功モデルの構築に努力しています。
2006年当初、日本語、中国語、英語などが全部できるWEB制作の企業は北京にはそう多くはありませんでした。また、2010年現在でも北京でSEO(検索エンジン最適化)や、EC関連の事業を行っている日本企業はあまり多くありません。
現在までに、無印良品、キューピー、北京大学日本研究センター等にWEB制作やSEMのサービスを提供しています。
タオバオの成功をいち早く感知