「プラザ合意」の締結から2年後、ニューヨーク株式市場が値崩れした。米国は再び日本に圧力をかけ、東京の金融市場の資金を吸い取るために引き続き金利を引き下げるよう要求した。日本政府はこれにまた屈服し、金利を2.5%まで引き下げた。これにより、日本の銀行システムは深刻な通貨過剰となり、貸付構造が完全にひっくり返り、非生産分野の貸付が生産分野の貸付を上回ってしまった。こうして、行き場のない巨額の資金が株式市場と不動産市場にどっと流入することとなった。これは、現在の中国と同じ状況である。
90年代初め、日本企業の証券価値が米国を上回り、もともと安くはなかった地価が、さらに高騰した。東京の皇居の地価がカリフォルニア州全体の地価に相当したという。日本経済のバブルが膨らみ始めたのである。
このときちょうど湾岸戦争が勃発し、原油価格が上昇したため、日本銀行は3度の利上げを余儀なくされ、このことも株式市場と不動産市場に火をつけた。これより前、金融覇権支配下のヘッジファンドは、円高に乗じてドルを空売りして円を買い入れ、株式市場と不動産市場に殺到したが、これらの投機に用いた資金はほとんどすべて銀行から借り受けたものだったのである。
バブルというのは、最終的にははじけるものである。日本の銀行の金利が引き上げられると、金融覇権は相次いで証券や不動産を投売り、巨額の資金を持って逃亡した。これにより日本の株式市場のバブルが顕在化し、弱気相場が20年余り続いた。株価が大幅に下落すると、地価も急激に下り始め、この状況は全国にひろがった。銀行の貸付構造がひっくり返ったために、土地投機は銀行の債務負担を重く、大きくし、金融業は深刻なダメージを受けた(これは現在の中国の状況と非常に似ている)。
このとき、金融覇権はまたもや円切り上げを迫る攻撃をかけた。その目的は、ヘッジファンドのホットマネーを再び動き出させることにあった。