日本の製造業はパニックに陥った。たとえば、ソニーのテレビ1台の輸出価格が1000ドルだと仮定すると、円の対ドルレートが10%上昇すれば、輸出コストは100ドル増加することになる。しかし当時、テレビ1台あたりの利益は100ドルを超えなかった。コストの削減をどれだけ加速させても、為替レートの上昇スピードに追いつくことはできない。そこで、日本企業は生き残りと発展をかけて、人件費が安い東南アジアへと工場を移すほかなかった。
こうして、日本の100余りの銀行の貸倒金は約4000億ドルに達した。80年代には、わずか100億ドルであったのにである。たった十数年でこんなにも大きなダメージを与えることができることから、金融覇権のバブル暗器がいかにすさまじいものかわかるだろう。
金融覇権が日本をどのように扱ったかをしっかりと見極め、中国はどうすればいいかを考えなければならない。
80年代半ば、日本の巨額の資金は押し出されて行き場がなくなり、一部は日本の株式市場や不動産市場に流れ込んだが、残りは欧米へ流れ、しかも米国へ流れ込んだ資金が多かった。当時はレーガン大統領の時代で、銀行に対する数々の規制が解除され(レーガン大統領の署名によって成立した『ガーン・セント・ジャーメイン法』は80年代末のS&L危機の直接の原因となった)、数千の銀行が不動産投機へと転じ、米国では大きな不動産バブルが吹き起こった。これは金融覇権の陰謀であり、日本がこのわなにかかるのを待っていたのである。案の定、日本は米国の不動産に投資すれば巨大な利益を生み出せると考え、数億円を投じた。日本人が「我々は米国を買った」と有頂天になったとき、米国の地価は急転した。そして90年代初め、不動産バブルが金融覇権によってはじかれ、米国経済は衰退期に突入。日本の巨額の資金は引き上げが間に合わず、大幅に縮小した。