街を引き回された後で処刑場に向う下田次郎と米村春喜。中国で処刑された日本の戦犯100人以上のうち63人が憲兵で、日本の憲兵の悪辣さがわかる。 |
第2次大戦時の連合国は東京に極東国際軍事裁判所を設置して日本のA級戦犯の審判を行っただけでなく、マニラ、シンガポール、ヤンゴン、サイゴン、ハバロフスクなどでB級、C級戦犯の審判を行った。連合国に起訴された各種の日本の戦犯総数は5423人、判決を受けたものは4226人、そのうち死刑に処せられたのは941人だ。その中で中国では保定、東北、南京、広州、上海、済南、武漢、太原、台湾など10カ所で戦犯を裁く軍事法廷が設置され、1949年2月までに戦犯145人に死刑の判決を下した。また米国や英国、オーストラリアにも法廷が設立され、米国では6人、英国では21人、オーストラリアでは5人が死刑になった。
「人民網日本語版」2011年2月15日