近代日本が中華民族に残した傷が余りに深かったが故に、中華民族の一員として、張学良(1901~2001年、関東軍により爆殺された張作霖の長男)もまた最も重大な害を受けた一人であり、そのため晩年に至るまでずっと日本に関心を寄せていた。半世紀余り沈黙を続け、その後に初めて口を開いた時には、すでに91歳という高齢の老人になっていた。その時の張学良はすべてを雲淡く、風軽くといった気持ちで眺めていたが、唯一、気の休まらなかったのが、中日両国の未来だった。その未来のために、彼は日本の若い世代に次のように忠告している。
第一は、武力で他者を侵略してはならず、それは「自ら爆弾を飲む」に等しい。「日本が投降したので、わたしの気持ちは非常に落ち着き、そのほかには何もない」。「仇」はいなくなり、「恨み」はすでに忘れた。「だれが(日本を)原子爆弾の実験場に変えられるのか、あれほど多くの人が死んだのは、誰のせいなのか。自らのせいである。……身を持する、それは良心に沿うことであり、やましいところがないということでもある」。人の良知が消えてしまえば、滅亡に近づく。武力をもって他者を侵略し、強者が弱者を凌辱すれば、「早晩、災いを招くことになる」。日本が招いた災いは、「九一八の始まりである。そのため、日本の元老の西園寺氏も、日本は一個の爆弾を飲み込んだに等しいと認めている」
第二は、経済的に他者を侵略してはならず、そうすれば必然的に、抵抗に遭うだろう。「経済的に侵略し、他者も愚かでなければ、将来やはり抵抗に遭うだろう」。91歳のこの年に、「わたしは日本人に言ったのだ、経済をもって侵略すれば、将来の結果、それは同じ結果であると分かるだろう。反対にどうして、経済協力ができないのか」。「他者を助けようとする、それは自らを助けることでもあり、弱者を助ければ、弱者が強大になった時に助けてくれるだろう」
第三は、歴史の罪過を忘れてはならず、「真心」があっても「恕道」がなければ、それは一種の極端である。張学良の日本の見方はずっしりとした歴史的な厚みと重みがあるのみならず、人間的なやさしさと心の深さに富んでいる。「わたしは日本のNHKに、中国には『夫子の道、忠恕にしかず』、という言葉があると話したことがある。忠とはわたしが事を行う際に尽力するものであり、恕道とは人に寛容になることである。日本人の忠烈は極点に達しており、恕道はみられない」張学良が中日両国の文化は源が同じだと考えたのは、日本が極端へと向かう、つまり日本が「忠」を極致まで発展させ、「日本人の忠は世界第一であり、武士道である。世界にそのようになれる国はない」からである。「日本は現在、武装解除しており、日本には武装させない、一旦再開すれば、やはり同じようになる」。こう語るのはなぜか。「日本は彼ら十人(東条英機などA級戦犯・筆者注)をあの靖国神社に入れており」、「日本の事はいずれも彼ら数人が招いたものである」。「彼ら十人が靖国神社に入ったことで、日本はやはり侵略国家だということが見て取れるだろう」
「わたしは事実だけを語っており、ほかの者に理解してもらいたい。わたしの見方が正しいか誤っているか、それは別の問題である」。「日本はやはり侵略国家」だとの判断が正しいか、誤っているかにかかわらず、他者が参拝するために戦犯を靖国神社に移したことで、日本人の歴史観と戦争観が曖昧で混乱したものになるのは間違いなく、同時に極端な思潮が氾濫する温床ともなる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月8日