繁盛する仙台の飲食店
このような状況が3月末まで続き、その後、仙台市中心部の避難所は全て閉鎖、彼女も完全に住んでいた部屋に戻ってきた。
しかし、彼女は相変わらず生存問題に直面し続けている。「年間60万以上の学費のためにも、何もしないでいるわけにはいかない。放射能が取り沙汰されているが、アルバイトで稼がなければならない。」
彼女は、この一ヶ月で2つのアルバイトを始めた。一つは食品加工工場でおにぎりを作るもので、もう一つは中華料理店での皿洗い、時給は750円。「2つとも短期のバイトで、おにぎり作りは朝早く、朝6時半から11時半まで、週五日勤務で、休みは月木、4月の初め頃まで続ける。」
ここ数日は、中華料理店でのバイトを始めた。彼女によれば、仙台は福島から90キロしか離れていないが、人々の精神的状態は、福島よりかなりよいという。「お店は、毎日とても繁盛していて、私も夜6時から10時まで忙しい状態。客は全て日本人で、中国人はほぼ全て帰国してしまった。」
白菜は価格に大きな変化なし
徐々に普段の生活に戻れるかと思いきや、4月11日午後、地震発生後ちょうど一ヶ月の当日、再び大きな地震が日本を襲った。
趙艶が不満に感じたのは、その前日にようやくガスが復旧し、自炊できるようになったばかりだったのに、11日の地震で、再びガスが止まってしまったことだ。しかも、復旧のめどは立っていない。「今は、自宅で炊飯器を使って、お昼ご飯を作るだけ。ご飯と青菜炒め程度しか作れない。」
青菜は現在、震災前に比べて価格が高騰している。彼女によれば、キャベツは以前の3~4倍の400円に値上がりしたという。彼女は、価格変動の小さい白菜を食べるようにしている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月18日