地震後の2、3週間は、日本国内の援助活動の実施に混乱が見られていた。
「阪神大震災の時と比べて今回は、民間ボランティアの行動が迅速かつ経験豊富で、皆自分用の食料と生活用品を持参した上で被災地に入ろうとしました」
工藤さんはそう言った。しかし多くの救助隊が被災地までの道を阻まれていたうえ、ボランティアの多くもどこに向かえばいいのか分からないといった状況で、災害下でこそ大きな力を発揮すべき『言論NPO』として、全くなすすべを知らず、工藤さんはただ焦りを募らせていた。そして彼は救援の呼びかけをしたり、政治家・官僚や他のNPOと救助対策について話し合う時以外は、甘いものを食べ続けることでその焦燥感から逃れようとしたのだった。
「甘いものばかり食べてはいけませんよ。お茶を飲んでください」
やはり中国メディアに携わる古い友人に勧められ、工藤さんは中国に来て以来積極的にウーロン茶を飲み始めた。
現在彼は、中国の力を借りて共に震災に立ち向かう方法を中国メディア関係者と話し合っている。非常に難しい課題である。第二次大戦後の日中関係はこれまでずっと助ける側(日本)と助けられる側(中国)であり、それが逆となるのは今回が初めてだからだ。言論NPOとしてその解決策を迅速に示さなくてはならない。
活気あふれるその話し合いの場で、彼はウーロン茶を飲み続けている。折よくそこには甘いものが置かれていない。
「Billion Beats 日本人が見つけた13億分の1の中国人ストーリー」より
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月21日