▽辛い時こそ、笑顔を
19日、私達は足湯の現場に到着した。ボランティア達の準備作業は、とても入念で、手際が良い。ガスボンベを設置して大鍋を載せると、お湯を沸かし始め、倉庫のような大きな部屋にブルーシートを敷く。準備の間も、衛生面への配慮は欠かさず、部屋の出入の際も、毎回、下足からスリッパに履き替え、また、スリッパから下足に履き替える。
日本人の特長は、災難に遭った時ほど、頑張り、笑顔になることだ。私達が出会ったおばあさんは、家を失い、家族も亡くなったようだが、それでも彼女は、「津波が来ても、桜は咲いたよ」と微笑んで、Vサインをして見せた。あの時はもう少しで涙が出そうになったと、後になって、小山さんが言った。足湯の会場では、このおばあさんが言ったもう1つの言葉、「辛い時こそ、笑顔を」が実証されていた。
見ず知らずの人達が素早く組織され、効率的に活動していることに、私はとても興味を覚えた。日本人の友人によれば、今、目にしているような効果的な組織化は、1995年の阪神大震災の教訓があったからだ。阪神大震災の時には、何万人ものボランティアが大量に被災地に入ったが、現地には受け入れの体制がなく、需要があっても人手が確保できず、人手があっても需要が把握できず、グルグル廻るだけで帰ってしまう人が多かった。また、ボランティアを装って、現地で商売をする人もいて、被災地に大きな混乱を招いたという。その後、日本のボランティア団体は、全国にボランティアの受け入れセンターを設立し、連絡体制を整え、ボランティアを組織的な活動へと変えた。
「足湯」を通して、被災者のニーズを知るというのも、阪神大震災後の教訓である。ボランティアの木村奈々恵さんは、阪神大震災での経験を、次のように語る。「当時は、足湯という手段がなくて、避難所で暇そうな人を探しては情報を集めていました。けれど、被災地で暇そうな人といえば子供ばかりで、有効な情報を集めることはできず、『家に帰りたい』とか、『住む家が欲しい』『家族に会いたい』とか、私達にはできないことばかりでした。でも、足湯ができた後は、人と人との距離が素早く縮まって、マッサージを受けながら、本音を語ることができるようになりました。足湯にこれほど大きな力があるとは思いませんでした」。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年5月30日