もちろん、書店の数を論ずれば、中国のほうが日本より多いのは決まっている。だが、あるいは意識の違いのせいか、中国では神保町のような規模化した、常に開放されている書店街を探し出すのは確かに無理だ。神保町の通りを歩く場合、深く入る必要はなく、店の入り口に立てば、小さな間取りの店内に書籍がぎっしり並んでいる様子が分かる。書店の奥に“巣くう”年配者を侮ってはならない。お腹に本をいっぱい詰め込んだ本の虫であり、彼らと本について論じるほうが、苦労しながら1年の目録学を読み上げるよりもましであり、このような人は家族経営の書店の伝統を守りつないでおり、同様に日本人の本を読む伝統を守りつないでいるのだ。この伝統はまさに神保町のような街と同じように、150軒余りの書店を通して、ぶらぶらと書店に入ってくるいろいろな読者を通して続いている。
日本人の読書好きは世界的に有名だ。こんな統計がある。日本人は1人ひとりが40冊、10万字の本を読む。この数字を見ると、日本の地下鉄で出会うさまざまな身なりをしたワークホリックの読書人が容易に連想される。
読書、この伝統は時代とともに歩むべきものであり、同様に早苗の手入れをするように心の底から大切にしなければならないものだ。現代社会が大容量情報化社会へと発展するにつれ、各種形式のメディアが次から次へと出現し、実に目まぐるしい。紙面に印刷された読み物はますます重視されなくなり、時間の消耗、大脳の消耗だといって、遠ざける傾向がある。読書の気風はこのように失われつつある。
中国の本の虫たちが、神保町の本の虫のように、本を愛する民族を苦労して育ててくれることを期待したい。