日本女子サッカー伝説の人物・澤穂希

日本女子サッカー伝説の人物・澤穂希。 1993年のアジア女子選手権にて代表デビューして以来、澤選手は3回のオリンピック、5回のアジア選手権出場を果たしている。日本代表選手として計125試合に出場し、この度のW杯で通算80得点目を記録した澤選手は、日本女子サッカー界の伝説の人物として君臨することになった。澤選手の活躍を見ると、中国人であれば否応なく、かつての中国代表チームのエース・孫雯選手を思い出さずにはいられないだろう…

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発信時間: 2011-07-20 10:28:04 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本女子サッカーと言えば、サッカー日本女子代表チーム(なでしこジャパン)をこの度のW杯制覇に導いた澤穂希選手を語らないわけにはいかない。1978年に生まれの澤選手は、日本の女子サッカーを牽引してきた象徴的人物として君臨している。33歳の古参エースが試合前、平均年齢25.2歳の日本代表チームを鼓舞するために言ったという「苦しい時は私の背中を見なさい」という言葉は名語録にもなっている。「東方早報」が伝えた。

1993年のアジア女子選手権にて代表デビューして以来、澤選手は3回のオリンピック、5回のアジア選手権出場を果たしている。日本代表選手として計125試合に出場し、この度のW杯で通算80得点目を記録した澤選手は、日本女子サッカー界の伝説の人物として君臨することになった。澤選手の活躍を見ると、中国人であれば否応なく、かつての中国代表チームのエース・孫雯選手を思い出さずにはいられないだろう。中国女子サッカーの黄金期を支え続けたリーダー的存在である孫雯選手。「鋼鉄のバラ」という愛称で親しまれた中国女子代表チームを語る時、忘れ難い選手として中国人の心に焼き付いている。

「小さな怪物」12歳でリーグ戦デビュー

澤選手はサッカーとの出会いをこのように語っている:6歳の頃、兄の所属するサッカーチームの練習を傍らで見ていた彼女に、コーチがシュートしてみろと勧めたところ、力強いシュートでキーパーの手をすり抜け見事ゴールを決め、その場にいたキーパーやコーチ、兄はいたく驚いたという。その才能を秘めた澤選手は、その地域では唯一の女子選手として少年サッカーチームのメンバーに加わることになった。12歳になる頃には、国内最高峰である日本女子サッカーリーグに出場している。

府ロクサッカー少年団(府中市第六小学校サッカーチーム)は澤選手が小学校時代に所属していたサッカーチームである。当時のチームメイトで2年後輩に、元日本代表で現役プロサッカー選手の守備的MF・中村憲剛選手がいる。中村選手は当時の澤選手のことをよく覚えており「身体能力は僕達の誰よりも抜きんでて、ぶつかったら跳ね飛ばされそうでした。シュートも沢山決めていました。澤さんは僕が最初に会った怪物です」と述べている。

米女子サッカーリーグが育てた日本女子サッカーの第一人者

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