米女子サッカーリーグが育てた日本女子サッカーの第一人者
澤選手は15歳で日本代表デビュー、17歳にはアトランタオリンピックに出場している。だが日本代表チームは3戦全敗でグループリーグ敗退という結果に終わり、国内での女子サッカー人気も急降下した。女子サッカークラブの多くが日本女子サッカーリーグを脱退し、選手が活躍できる場が減って行った。当時、日本代表チームの一員であった澤選手も例外ではなかった。
その後、人生で大きな岐路に立たされた澤選手は大学を中退し、女子サッカー世界最高峰と言われる米女子サッカーリーグ(WUSA)に在籍することになった。当時、体格やスピードにおいて少し見劣りしたものの、粘り強く努力を重ねた結果、澤選手はチームにとって不可欠な存在となり、多くのファンがつくほどの人気を博していった。
Wリーグのコロラド・デンバー・ダイヤモンズ、WUSAのアトランタ・ビートなどのサッカーチームに入団した澤選手は、計4シーズンのうち55試合に出場、13得点を決めている。2004年、米女子サッカーリーグの休止により、日本に帰国した澤選手は日テレ・ベレーザに再入団、なでしこジャパンの第一人者として活躍するものの、2009年には再渡米している。フィラデルフィア・チャージに在籍していたころ、澤選手はその活躍で、中国人の古参エース・劉愛玲選手をベンチに下がらせたこともあり、アジア女子サッカーのMF王座交代と言われたものである。その当時、澤選手はまだ24歳、日本代表チームの主将としてなでしこジャパンを世界制覇に導くことになるのはその9年後のことだ。
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