そして「萌え」は、自分の中に生まれた喜び、倒錯、興奮、執着など各種感情そのものを形容する言葉となった。自分が「良い」と感じるもの、人の心を打つものであれば何でも、「萌え潤オ!」の一語で表現することができる。日本社会の隅々にまで広く浸透した「萌え文化」の対象は、実際の人物、擬人化された動物、モノでなければならず、「萌え」という言葉には、ある種の「心が燃える」共感の感情が含まれている。
「萌え」と「可愛い」とは同義ではない。「可愛い」にプラスアルファの特徴がないと、「萌え」の感情は生まれない。この点から見ると、中国における「萌え文化」は、やや本筋から外れてしまったようだ。日本の一部研究者は、「萌え」現象を心理学的見地から研究しており、その研究を「萌学」と名付けた。ある研究家は「従来の日本社会においては、さまざまな制約や約束ごとによって、人の情愛が抑圧されてきた。この抑圧が逆に刺激となって、人々は魅力的なものをいっそう渇望するようになった。つまり、『萌え』は一種の刺激とそこから誘発された願望を実現したいという心情を示すものだ」と分析している。
「萌え文化」は2003年ごろ、東京の秋葉原から流行り始めた。2004年と2005年、「萌え」は、新語・流行語大賞にノミネートされた。日本の若者の多くは、「好き!」「可愛い」「素敵」などの言葉をもはや用いず、「萌え」が全てに取って代わった。2006年当時、男子学生(20-24歳)と女子学生(15-19歳)の大部分が、常日頃「萌え」という言葉を使っていると答えた。年配の日本人の中には、これを不満に思う人も多い。古代日本語の中でも極めて高尚で上品な言葉だった「萌え」が、「最も濫用されている流行りことば」に落ちぶれたというのがその理由だ。経緯がどのようなものであれ、「萌え系」「やや萌え」「萌え戦」などさまざまな「萌え」の派生語まで登場したことに、大人達は困惑の色を隠せない。