文=コラムニスト・陳言
福島県産業交流館に置かれていた避難所が8月31日に閉所したことを新聞で知ったとき、そこに避難していた2294名の姿が目に浮かんだ。地震から約半年、それぞれが何とか新しく生活する場を得て、救援活動も一段落したのだろう、と私も少し安堵する。
私はその産業交流館(Big Palette Fukushima)を7月25日に訪ね、館長の渡辺日出夫さんとお会いしている。中肉中背で肌つやは良く、ユーモアがあり良く通る声の持ち主だ。
3月11日以来、渡辺館長は産業交流館ではなく避難所の責任者として多忙を極めた。私は日本貿易振興機構(JETRO)福島事務所長の紹介で、渡辺館長を取材することになった。7月25日、非常門から入った私は、数十人が大部屋に固まって忙しく事務作業をしている様子を目にした。そして渡辺館長に感謝の意味も込めて言った。
「裏口から入れていただきありがとうございました」
「その裏口は今では立派な正面玄関ですよ!」
と笑顔で渡辺館長。
産業交流館が避難所になってから正面玄関ロビーはもちろん、廊下もすべて人でいっぱいになっている。忙しい中取材に応じる時間をとってくれた館長は、私の言った“裏口”の意味も察してくださったようだ。
そして館内地図を示しながら地震後の状況を語ってくれた。
「3月30日には2294名を収容していました」
館内至るところ、人が横になれる場所はすべて人で埋め尽くされていたという。原発事故の後は発電所付近の住民が着の身着のままに近い状態でやってきたとのこと。
「あの頃はこの会議室も人でいっぱいで足の踏み場もないくらいでした」
渡辺館長は続けた。