◇80キロから130キロへ増量
2003年6月28日、蒼国来は日本の地を初めて踏んだ。そして荒汐部屋での辛い稽古の日々が始まった。当時、彼の身長は185センチもあったが、体重は80キログラムしかなかった。「レスリング選手は過酷な減量に耐えなければならなかった。だが日本についた途端、増量しろと言われた。これが一番きつかった」と蒼国来は語っている。体重を増やすために、日本で出される食事に好き嫌いを言うことは許されなかった。大草原で生まれ育った彼には、魚を食べる習慣がない。だが蒼国来は日本人が好む刺身も食べ慣れる必要があった。日本での食生活にすぐに慣れるために、ヨーグルトを御飯にかけて食べたと言う。そんな努力の結果、彼の体重は80キログラムから130キログラムにまで増えた。
次に苦労したのは言葉である。蒼国来が日本に来た当初、日本語を全く解さなかったため、女将さんが小学1年生の教材を買ってきてくれて、一つ一つ教えてくれたそうだ。2年も経たぬうちに蒼国来の日本語はとても上手になっていった。
最も辛かったのは稽古である。荒汐部屋に入った1日目から過酷なトレーニングが蒼国来を待っていた。毎日5時半起床だが、朝稽古が終わるまでは朝食を摂ることができない。なぜなら、満腹状態でぶつかり稽古をすると、気持ちが悪くなったり吐いてしまったりすることがあるからだそうだ。朝稽古は7時から始まる。まず、筋力トレーニングを5メニューこなすのだが、すべて200~300回ずつというハードさだ。これが終了してようやくウォーミングアップ完了となり、その後、1対1のぶつかり稽古が始まる。ぶつかり稽古は1時間ほど行なわれるが、蒼国来にとって最も辛い時間だったそうだ。2年ほど前、空腹状態でぶつかり稽古をしていた力士が倒れ、死亡したことがあるという。
このように、相撲部屋1階にある10平米あまりの稽古場は、蒼国来が来日してから毎日汗と涙を流した場所でもある。「日本に来たことを後悔していますか?」との問いに、蒼国来は笑って「来た当初は本当に後悔しました。でも他に道はなかった。どんなに辛くても毎日続けるしかなかったんです。逃げ出したいと思っても無理でした。パスポートは親方に預けてありましたからね」と答えている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年11月21日