その後、南沢社長による声優の発展の経緯について簡単な紹介があった。最初は欧米の映画に音声をつける職業から始まり、正式に声優と呼ばれるようになったのは、やはり1980年代後期になってから。有名なアニメ雑誌《Animec》の副編集長だった井上伸一郎氏の提案からだったという。当初、欧米の映画に音声をつける作業は主に舞台俳優が担当していた。彼らはあまりこの声優の仕事を俳優の前進を使った表現の権利を剥奪するものだとみなして好まなかった。だが、彼らの作業によって映画と文化は広がりをもち、言語の壁を越えることができた。南沢社長は、子供の頃スーパーマンが好きで、映画の中のスーパーマンなどが見た目は完全に外国人だったが、きれいな日本語を話すので不思議に思っていたといっていた。
また、彼は「オタク」文化の日本における巨大な影響についても言及した。「日本の多くの青少年は周囲とのコミュニケーションが不得手だが、アニメ作品の話になると目を輝かせてとうとうと話をする。日本の中高生に卒業時に調査をしたところ、多くの学生が声優を将来の職業に選んでいた。理由を尋ねると、この学生たちはアニメ作品のセリフから勇気をもらったとか、自分でもこんなセリフを言える人になりたいと思っているからだという。アニメには本当に魔力があると思う。」と述べた。