ただし、感性としての言葉はともかく、日本全国あまねく絆が認知されたのかどうかは別物である。なるほど復旧次元で考えればさまざまの形で応援活動をされた人は多い。義捐金、救援物資などなどの大きさを考えればわかる。しかし、エリート・パニックの諸君が何かを学んで体制を立て直したであろうか。非被災者において、被災者に同情し共感し、なにかしなければと考えた気持ちはまだ維持されているであろうか。
被災から時間が過ぎるにしたがって、あの大切な問題意識が薄くなってはいないであろうか。復旧はともかく、復興というのは以前より盛んにすることでなければならない。
たとえば被災地は過疎と高齢化問題が以前から背景にある。被災地において過疎と高齢化問題が以前より前進する(復興)のであれば、それは被災地以外でも同様に前進しなければならない理屈である。被災問題を自分の問題とすることが絆を認識することである。
——大和魂!と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした。
大和魂!と新聞屋がいう。大和魂!と掏摸(すり)がいう。大和魂が一躍して海を渡った。----東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を有っている。
三角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらしている。