日本国内でまた「海洋国家」が流行語となっている。敏感な海洋問題において、野田政権は「変化を求める」足並みの加速を急いでいるようだ。(文:張勇・中国社会科学院日本研究所中日関係研究センター秘書長)
無名の島々への「命名」継続の大仰な発表から、海上での取り締り権の強化を旨とする「海上保安庁法」「外国船舶航行法」改正案の国会提出へと、日本の政界は現状改変に向けた動きをいよいよ顕わにしている。この動きの背後に存在する「海洋覇権論」という「伏流」に、われわれは十分に注目すべきだ。
■「海洋国家」日本?
地理的位置を見ても、海洋活動を見ても、日本を標準的な「海洋国家」と表現することに大きな異議はなさそうだ。だが仔細に追究すると、そう説得力あるものでもなさそうだ。
地理的には日本は海洋に囲まれている。だが日本の学界が認めているように、日本は長い間ずっと「島国」であり、完全な意味の「海洋国家」ではなかった。「海洋国家」としての歴史経験は極めて浅いのだ。
さらに重要なことに、その国を「海洋国家」の一員として認めるべきかどうかは、自然に置かれた地理環境だけではなく、その意図と能力に支えられた国家発展戦略と対外戦略によって決まるのである。かつて長い間「海洋国家」路線と「大陸国家」路線の間の論証と戦略選択の過程にあったものの、第二次世界大戦終結前の日本の政策決定層の最終的な選択は「陸主海従」だった。つまり「大陸進出論」を代表とする「陸主海従」戦略が次第に台頭し、国策となったのだ。これは軍国主義の滅亡も招いた。「海洋国家」の役割を真に認識し、対外政策を定めたのは、敗戦後の事だ。1960年代に国際政治学の現実主義のリーダー、高坂正堯氏は「海洋国家日本の構想」で、軍事力の制限という条件の下、「海上通商国家」モデルの構築を提言した。この構想は戦後日本の「海洋国家」研究のさきがけとなった。「軽武装」、「経済重視」、そして平和主義思潮の高まりという世論環境の下、戦後長い間「海洋覇権論」は大きな支持を得ず、軍国主義復活の対外戦略理論として批判されすらした。