昨年、日本を襲ったあの大震災「3・11」から、1年が過ぎようとしている。この度、中国国際放送局(CRI)の記者が宮城県仙台市を訪問し、現地の復興状況や被災者らの暮らしについて取材を行なっている。
(3)根深い原発事故の影響
視察した被災地では、住民の精神状態はまず落ち着いて来ているという感じを受けた。だが、住む地域により、その精神状態も大きく異なるようだ。仙台市中心に住んでいた人の場合、津波の被害を受けていないため、地震への恐怖はそれほど大きくない。逆に、震災後、みなが一致団結して困難を乗り越えたことで、人と人とのつながりを強く感じている人も多いようだ。
仙台市中心から車で20分ほどの若林区は津波による甚大な被害を受けた地域だ。ここの人らはほとんどが仮設住宅に移っている。彼らは「仮設住宅の暮らしは、避難所で暮らしていた頃と比べれば、ずっといいです。避難所で居た頃は、多くの人の支援があったからこそ、なんとか持ち堪えることができた」と述べている。だが、仮設住宅に移り、安定した暮らしが始まった途端、もう戻れる家がないのだということが嫌でも痛感させられ、ある人は家族を失ったことを実感し、余計に悲しみに沈む人も多いようである。だが、彼らはみな、頑張って昔の暮らしを取り戻したい、と願っている。
販売業を営む福島出身の友人は、「放射能汚染の影響は福島から完全に消え去った訳でない」と言う。福島の農業は大打撃を受け、観光業も壊滅的だ。多くの人が自分の子どもを安全な地域に移している。地震からもう1年経ったとはいっても、被災地の住民は復興再建に勤しむと同時に、根深い不安にも苛まれている。原発事故の処理が完全に終束する日まで、彼らにとって新たなスタートを刻める日は来ないのかもしれない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年3月9日