安倍首相が進める「価値観外交」を東南アジア諸国はどう見ているだろうか。シンガポール国立大学東アジア研究所の趙洪上級研究員は、「環球時報」に対して次のように示した。東南アジアの多くの国は日本に歩調を合わせることを望んでおらず、ASEANの一部の国も中国と良い関係を築きたいと思っている。これらの国は日本の同地域における影響力は低下しているが、中国は決定的な地位を築いているとわかっている。日本は1970年代の「福田ドクトリン」に背いている。「福田ドクトリン」は排他的なものではないが、安倍首相が打ち出した「東南アジア外交の5原則」は攻撃的なものである。日本が「福田ドクトリン」に戻ることができれば、東南アジアの平和と安定、日本の同地域における発展にプラスとなる。
シンガポールの学者は、「福田ドクトリン」は過去数十年の東南アジア諸国と日本の平和的共存の基礎を固めたと見ている。東南アジアの民衆の日本に対する見方は徐々に変えることができるが、歴史が忘れ去られることはないためである。日本の在インドネシア大使は以前、「福田ドクトリンはトヨタ車が焼かれる洗礼の中で生まれたものだ」と述べたことがある。1960年代、日本は商品を東南アジアに大量に輸出し始め、東南アジアは日本の資源供給地と販売市場になった。これにより、過去に日本に侵略された東南アジアの国は強く反発し、経済力が高まれば日本が再び軍国主義の道に戻ることも懸念された。1974年1月、当時の田中角栄首相はタイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア5カ国を訪問し、現地では反日デモさらには暴動まで起こった。田中角栄氏に同行した外務省アジア局の藤田公郎前局長は、「インドネシアの首都ジャカルタで、デモに参加した学生が空港から市中心部までの主要道路をふさぎ、田中氏一行は遠回りして宿泊先のホテルに行くしかなかった。首相は3日間ホテルから一歩も出ずに、最終的にヘリコプターでホテルからジャカルタ空港に飛んで帰国することになった」と明かしたことがある。その3年後、当時の福田赳夫首相は、フィリピン訪問時に日本が再び軍事大国にならないことを承諾し、世界平和への貢献に力を入れる方針を表明した。「福田ドクトリン」は日本と東南アジアの融合を促進した。