◇高い生産能力
第二次世界大戦中、日本の潜水艦は135隻が撃沈され、残りの55隻は敗戦に伴い投降し、全軍が瓦解した。しかし潜水艦の製造および使用経験・教訓は、そのまま蓄積された。日本は戦後、対潜・対機雷を海上自衛隊の発展の重点としてきた。敗戦国になった日本は、潜水艦のような侵攻を目的とする武器の保有が禁止されていたが、米国が旧ソ連に対する包囲を強化するため、日本の規制を一部解除した。朝鮮戦争の勃発後、米国は日本の再武装を開始した。米国は1955年に、日本に1隻のミンゴ級潜水艦を貸与した。日本は「くろしお」と命名し、日本の潜水艦隊を再建した。日本の戦後の潜水艦の発展がこれによりスタートされ、艦名には「◯◯しお」が採用され続けている。今世紀初頭までに、日本は9種類の潜水艦を発展させており、平均で5年おきに新型潜水艦を製造している。実際には開発の周期を短縮するため、日本の新型潜水艦は旧型の改良版になっている。
また日本の潜水艦の就役年数は最も短く、平均で15年と海外の2分の1のみだ。日本の潜水艦は川崎重工と三菱重工が交代で生産している。両社は独自の生産ラインを持ち、建造ペースを速めている。この方法により、日本は大規模な潜水艦生産能力を維持しており、ひとたび開戦した場合には短期間内に大量の潜水艦を建造できる。