旧日本軍の華北方面軍甲1855部隊の古い写真が、このほど競売にかけられた。日本軍は1939年、「防疫・供水」の名義で同部隊を北京天壇神楽署に配備した。
歴史資料の記載によると、同部隊は731部隊と同じく、ペスト菌、コレラ菌、チフス菌などの伝染病の病原菌を培養し、大量の人体実験を実施した。日本軍が戦後すべての資料を迅速に処分したため、この部隊が人々に知られることはなかった。専門家は、「これは国内で初めて見られた、同部隊の写真の資料だ」と語った。
記者はこのほど北京華辰拍売有限公司で、この165枚の写真を目にした。一部の写真には「十」が印刷された大量の物資があり、日本軍の多くの軍人、軍服の外に白い羽織をかけた男性の姿が見られた。そのうち1枚の写真は実験室を背景とし、人の背後には実験器具が並べられ、「北平天壇野戦防疫部」という注釈がついていた。
同社が、日本軍が中国を侵略していた時期に北京天壇で撮影した写真と判断したのは、当時天壇に華北方面軍甲1855細菌部隊が駐在していたと、歴史資料に記されているからだ。
日本軍の軍服を着用した中尉の肩書を持つ男性が、写真の中に7−8回見られた。競売の関係者は、「写真は日本から集められた。これは日本軍の中尉が個人的に撮影したものだろう。この男性は敗戦後に日本に持ち帰り、日本の民間で保管していた。写真は幾度となく持ち主が変わり、かつての保有者の子孫も写真の歴史的な意義を知らず、中国の天壇で活動していた特殊な医療部隊であることしか知らなかった」と語った。
記者は河北省社会科学院歴史研究所元所長・研究員の謝忠厚氏と、中国人民大学歴史学院の抗戦史研究専門家の武月星教授、楊若荷教授に、写真の鑑定を依頼した。
3人の専門家は写真の風景と文字を見ると、華北方面軍甲1855細菌部隊であることを断定できると述べた。
謝氏は、「華北方面軍甲1855部隊は華北地区にいくつかの組織を持ち、山西、済南の組織は少量の実物と資料を残した。北京本部だけには実物も資料も残されていなかったので、これらの写真は非常に重要な歴史的意義を持つ」と指摘した。
武氏は、「華北方面軍甲1855部隊は1939年に配備された、日本軍が731部隊に続き発足した2番目の細菌部隊で、ペスト、コレラ、チフス、赤痢、マラリアなどの細菌を生産していた」と述べた。謝氏は、「731部隊と同じく、華北方面軍甲1855部隊も人体実験を行っていた」と語った。日本の元兵士のHさんは、同部隊の第3課でネズミの飼育を担当していたという。Hさんは1944年夏、豊台の中国人捕虜収容所の捕虜を北海公園付近の第3課に護送し、人体実験を受けさせるよう命じられたという。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年5月29日