日印それぞれの思惑
今年5月に首相に就任したモディ氏は安倍首相の武器輸出緩和を支持していたことから、日本側は今回の訪問に期待していた。安倍首相自ら京都に出向いて観光や視察に同行し、熱いもてなしをしたが、日本側の「熱意」とは裏腹に、日印会談の成果は数えるほどしかなく、日本のメディアに日印間の「温度差」を実感させる結果となった。
原子力協議の問題については、重大な原子力事故が発生した場合は原子炉製造者も賠償責任を負うことがインドの現行法で規定されているため、日本はインドの原子力民営化に期待を抱きつつも、リスクを恐れて協議を結ばなかった。インドは「核兵器不拡散条約(NPT)」に未締結で、核実験を行ったことがあるため、インドへの核燃料輸出は核兵器製造の原料になるのではないかという問題を日本側も考慮せざるを得ない。その一方で、1984年に発生したボパール化学工場事故ではインドでは多大な死傷者が出たが、米ユニオンカーバイド社の事後処理が怠慢かつ消極的で、インドの人々には合弁会社に対する不信感が根強くあり、日本の核燃料や原子力技術をインドに輸出するのは容易ではない。
さらに、新幹線やUS2型水陸両用機のインド導入に関しても双方に見解の相違があった。日本のハイテク技術で国内の経済発展と人材育成を促したいインドに対し、経済援助と引き換えに政治的支持を期待していた日本だったがインドの回答はえられなかった。インド政府の緊迫した財政状況も日本の懸念の一つとなっている。
「日印は二国間関係に対してそれぞれの思惑があったが、今回のモディ首相の訪日では各自の思い通りにはいかなかった。日印の『温度差』のある新たな関係がどういった方向に進むのか見守る必要がある」とアナリストは分析する。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年9月4日