日本の右翼は東京裁判は「勝者の裁判」で、「戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた裁判」だと吹聴している。その理由は非常に滑稽で、例えば東京裁判は米軍のマッカーサー元帥が裁判所条例を定め、裁判官を任命し、米国の占領政策の一環として行われたという説や、米国は日本に2発の原子爆弾を投下し、20万人の一般市民を殺戮したことや、ソ連が日ソ中立条約に違反して突然参戦したことも追及するべきだという説、裁判官は戦勝国だけでなく、第三国、中立国からも任命すべきで、日本の裁判官も裁判に参加すべきであったという説など。これらの理由はまったく成立しない。日本の右翼の東京裁判否定は単純な裁判の結果否定ではなく、日本が侵略戦争を発動した歴史を否定しているのだ。
東京裁判を担当した極東国際軍事裁判所の設置は十分な法的根拠がある。「ポツダム宣言」と英米ソによるモスクワ外相会議での決定がその根拠となっている。1946年1月19日、GHQのマッカーサー最高司令官は「極東国際軍事裁判所憲章」(1946年4月26日改正)を発表。裁判官は11カ国(米国、中国、英国、ソ連、豪州、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド、インド、フィリピン)11人で構成、十分に代表性があるといえる。
東京裁判は2年7カ月に及ぶ審理過程において、戦勝国の立場から戦争犯罪人に対して主観的、独断的な判決はしておらず、英米式の「弁論式」裁判を採用し、国際法を根拠に大量の人証、物証のもと、戦犯に十分自己弁論の機会を与え判決を下した。818回にわたる裁判で、裁判記録は約5万ページ、文字にして1000万字に及び、出廷した証人419人、提示された証拠は4336点、英文裁判記録は4万8412ページ、判決書1213ページ、判決文を読み上げるのに9日かかった。傍聴者も20万人にのぼった。法廷では多くの筆記資料や1000人以上の証言を元に、日本が中国や東南アジア、米英などに発動した戦争の侵略性、不正義性を法的角度から認定するだけでなく、大量の史実を事実確認し、日本政府と軍部が画策・発動した侵略戦争及びその戦争で犯した様々な罪を暴き、列挙した。特に南京大虐殺は国際社会に大きな衝撃を与え、九一八事変(日本名:柳条湖事件、満州事変)から太平洋戦争に至るまですべて日本の侵略戦争であったことを確認した。