「70年が経ち、忘れている日本人もいるかもしれない。しかし我々中国人は永遠に忘れない。我々こそが勝利者だ」。
浙江省杭州市富陽区に、中国で唯一、日本の投降にちなんで名づけられた村がある。「受降村」だ。かつて村の党支部書記で、現在は村の老年協会副会長を務める陶土祥氏は、村の名前であるこの三文字が廃れることはないと語る。
史料によると、1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れた。中国戦区では投降区を16に分けており、浙江省はその1つだった。1945年9月4日、日本軍第133師団の師団長である野地嘉平は、当時の富陽県長新郷の宋殿村に、師団参謀長と随行員を派遣し、第3戦区の指揮官と浙江省政府に対して投降の申し入れを行った。9月15日、司令長官の顧祝同を擁する浙江省は投降を受け入れ、日本軍第133師団の杭州での武装解除を承諾した。
富陽区史によると、「投降申し入れの受け入れ地点」は富陽県の長新郷で、1946年に隣接する仙昇郷と合併し「受降郷」となり、1990年代には「受降鎮」に名を変えた。現在の「受降村」は2007年に富陽区中秋村と大樹下村が合併して作られたものだ。当時の「投降受け入れ地点」である宋殿村は現在、「受降村」に属する村落となっている。
浙江省の人々、特に富陽区の「投降受け入れ地点」に住む古い村民にとって、「投降受け入れ」には深い思い入れがある。2007年に村が合併する際、「受降村」の名前が消えるかも知れない局面があった。「多くの村人が反対した。特に年配の人は『何があっても同意しない』」と言っていた」と、富陽区史を編纂する研究員、張建華氏は述べる。その結果、この名前が残ることになった。