大分県大山町、日本で最も豊かな農村

大分県大山町、日本で最も豊かな農村。 大分県日田市大山町は29日、雨と霧に覆われた。この町は風光明媚で、点在する家屋は古代中国の建築風格を持つ。大山町は伝統的な農業地帯だが、日本と全世界で名を知られている。大山町は、一村一品運動の原点だ…

タグ: 大山町 一村一品 農家 加工業

発信時間: 2016-06-02 10:03:03 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

大分県日田市大山町は29日、雨と霧に覆われた。この町は風光明媚で、点在する家屋は古代中国の建築風格を持つ。大山町は伝統的な農業地帯だが、日本と全世界で名を知られている。大山町は、一村一品運動の原点だ。

・もともとは日本の「原始的な村」

大山町農業協同組合金融事業部の三笘日出喜部長は、親切に筆者らをもてなしてくれた。三笘部長によると、大山町は中国・重慶市の大多数の農村と同じく丘陵が多く、標高は最高600メートル以上に達し、耕地面積は狭い。町民は約2900人で、1人平均の土地面積は約1200メートルで、いずれも棚田。一村一品運動を実施する前、大山町は日本で有名な貧困地区だった。

・一村一品運動で有名に

しかし町民は貧困脱却のため積極的にアイデアを出した。進んだ考えの若者は、意識的にリサーチに出かけた。彼らは伝統的な米作をあきらめ、収益性の高い作物に目を向け、作物の価値を引き出す意識を高めた。これは中国でも言われる、適地適作だ。

平松守彦大分県知事(当時)は1961年、一村一品運動を提案した。これは大山町の考えと合致した。町はそれまでのリサーチを元に、「NPC(New Plum and Chestnut)」と呼ばれる方針を定めた。大山町の各世帯が出資し、農業協同組合を立ち上げた。町民による選挙で、矢幡治美さんが初代組合長に選ばれた。

矢幡さんはまず、生活環境の改善に取り組み、農家の畜産の習慣を捨てさせた。それから、伝統的な畑作を止めるよう呼びかけた。各世帯は自分たちが食べる分を育てる土地を残し、その他のすべての土地を梅と栗の栽培に用いた。矢幡さんはさらに村の高齢者に対して、一村一品の方針に口を挟まず、若者たちとチャレンジさせてもらうよう頼み込んだ。

それから矢幡さんは村の若者を連れ、イスラエル、韓国、中国、東南アジアをめぐり、先進的な経験を学び、見聞を広めた。帰国後、大山町で梅と栗の栽培を始めた。彼らはさらに、「梅と栗を植えてハワイに行くぞ!」という堂々たるスローガンを掲げた。

矢幡さんは1968年に、数十人の農民とハワイに行き、夢を叶えた。本件は当時、大きな話題となった。

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