20年余りを経て、三菱はついに、第2次大戦中に被害を受けた中国人労働者に謝罪した。この知らせを聞いた閻玉成さんは、住んでいる安徽淮南市から高速鉄道に乗って北京にやって来た。所要時間は4時間。87歳の老人にとっては骨の折れる行程である。しかし閻玉成さんは、20年以上頑張ってきたのに比べれば何でもないと語る。
「賠償金額がいくらかは重視していない」と閻玉成さんは語る。重視しているのは、日本企業が事実を受け入れ、罪を犯したことを認め、謝罪することだった。
「私が私だけのために戦ったのではない。すべての労働者、すべての被害を受けた中国人を代表して戦った。我々が20年以上頑張ったのは、労働者のため、中国人のために一矢報いるためだ」と閻玉成さんは語る。
補償金に対しては被害者の遺族の多くも同じような見方を示した。秦皇島昌黎県の戴秉信さんは、父親が当時、労働者として強制連行された。父親が亡くなっているため、三菱の謝罪を代わりに受けることになった。
「我々にとって金額は問題ではない。問題は相手の態度だ。苦しかった70年を経て、ついに光を見ることができた。中国と日本の今後の友好と協力を願う。我々は歴史を恨みとしてはならないが、歴史をしっかりと覚えておかなければならない」と戴秉信さんは語った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年6月2日