ロ日の領土問題、歴史的経緯を振り返る

ロ日の領土問題、歴史的経緯を振り返る。

タグ: 北方四島,日露通好条約

発信時間: 2016-06-04 09:29:43 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

ロ日が係争中の南クリル諸島(日本名・北方四島)は、択捉・国後・歯舞・色丹の四島を指す。

日本人とロシア人は17世紀より島での活動を開始した。日ロ両国の歴史書は、いずれも四島について記載している。その後、四島の帰属については何度か書き換えられている。

ロ日は1855年に「日露通好条約」を締結し、四島が日本領であることを確認した。日ロは1875年に樺太・千島交換条約に調印し、四島を含む千島列島のすべてが日本領となった。

しかし第二次大戦終戦前の1945年2月、ソ連と米国はヤルタ会談で、千島列島をソ連領とすることを暗黙裡で了承した。ソ連は同年8月8日に日本に宣戦布告し、極東の戦いを開始した。千島列島の戦いは、極東の戦いの重要な構成部分だ。

ヤルタ協定に基づき、ソ連は戦勝後に四島を含む千島列島全体を占領し、1946年にソ連領とした。日本政府・民間はこれを認めていない。

1951年にサンフランシスコ講和条約に調印する際に、日本は千島列島の権利を放棄することに一旦同意したが、その後この立場を覆した。

日本は1956年、北方四島返還をソ連に正式に要求した。ソ連と日本は同年10月、ロシアで「日ソ共同宣言」に調印した。ソ連は平和条約締結後、北方四島の歯舞・色丹を日本に返還することに同意した。

しかしながら冷戦という背景があり、ソ連解体に至るまで、両国が正式に平和条約に締結することはなかった。ソ連解体後、ロシアはソ連の政治遺産を引き継ぎ、四島を実効支配した。

ロシアの四島問題に関する態度は、90年代に日ソ共同宣言に近づいたことがある(平和条約締結後、面積が比較的狭い歯舞と色丹を日本に返還)。

しかしながら日本はロシアとは逆で、平和条約締結前に領土問題を協議しようとしている。そればかりか、日本は歯舞・色丹の面積は四島全体の10分の1未満であるため、二島のみの返還には応じがたい。

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