同時通訳との偶然の出会い
彼女がまだ新人だった頃、環境保護会議の主催者からCRIに通訳派遣の要請がきた。これをきっかけに彼女は人生で初めて同時通訳を経験することになったのである。その後何度も通訳の現場を経験し、実践でキャリアを積んでいった彼女は、日本関連の分野で名の知れた同時通訳となっている。近年、中日友好21世紀委員会、北京‐東京フォーラムといった重要な国際会議の場で、同時通訳として活躍している。
2011年の東日本大震災では、地震発生後40日間にわたり中国中央テレビ(CCTV)の中継の通訳に携わり、スピーディかつ的確な通訳でNHKの実況中継を伝えた。
「同時通訳ができるような人の頭の中は、きっと特別な構造になっている」、「仕事もでき、語学の才能に恵まれ、そのうえ脳が特別な細胞でできているのだろう」と言う人もいるかもしれない。これに対し彼女は自分の経験から、「頭の良い人とは努力を惜しまない人、才能はひとつひとつの積み重ねから生まれるもの」、「通訳になるには訓練をするのはもちろんのこと、自分の国だけでなく相手の国の情勢や動向などに関心を持つことも大切な要素」だと語っている。彼女は普段の仕事で日本語のスキルを磨いているだけでなく、常に勉強を欠かさない。「時間を見つけてはNHKのラジオも聴くし、日本の新聞に必ず目を通す」と話す彼女は、まさに努力家だ。毎回、通訳の現場では事前の準備を怠らない。あらかじめ様々な資料にも目を通す。国際会議の現場では、会議の内容や背景、関係者の立場や将来の方向性、関連知識などを頭に入れ、充分に理解していなければならい。例えば、初めてエコ分野の会議に参加したのは『京都議定書』が発効したばかりの時だった。ゼロから始めなければいけないため、この議定書の作成に至る背景、主な内容、執行状況、各方面の立場、今後の動向などの知識を学んだ。毎回の現場が緊張の瞬間でもあり、挑戦でもある。準備には多くの時間を費やす必要があるのだ。
常に緊張と隣り合わせの現場では、実績のある彼女でも失敗をすることがある。それは、東日本大震災のNHK実況中継の同時通訳中に起きたそうだ。連日に及ぶ激務で疲労もピークに達していた彼女は、当時の菅直人首相のスピーチで、ある言葉を間違えて伝えたというのだ。首相が用いた「犠牲」と言う言葉を、そのまま中国語の「犠牲」で伝えてしまったのである。日本語の「犠牲」は中国語と漢字は同じだが意味は異なり、ここの「犠牲」は単なる「亡くなる」という意味である。当時を振り返りながら話す彼女の顔は紅潮し、今でもその時のドキドキ感が伝わってくるようだ。彼女はこう語る、「失敗をする度に自問自答し、もっともっと勉強して、周りの人には謙虚に色々なことを教えてもらい、同じ間違いを繰り返さないためにもどこがダメだったのか、すぐに立ち返ることが重要」だと。