元日本兵の三谷翔さん(98)が9日午前2時、日本の自宅で亡くなった。揚子晩報の記者は11日、侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館(南京大虐殺紀念館)からこの情報を得た。
三谷さんは中国侵略日本軍による南京大虐殺の加害者であり、真相の告発者でもある。南京大虐殺70周年の10年前に南京を訪れ、市民に向け懺悔・謝罪した。2014年の初となる「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」を控え、揚子晩報の記者は訪日し、三谷さんの自宅を訪れたことがある。三谷さんは、中国侵略日本軍の兵士として、日本軍の暴行を恥じていると語った。安倍政権が歴史を無視していることについては「本当にやつを懲らしめてやりたい」と話した。
南京大虐殺の真相を、亡くなるまで語り伝える
日本の友人、松岡環さんは8月17日、入院中の三谷さんを見舞った。三谷さんは当時、急な高熱により病院に搬送され、もう何日もたっていた。病院の診断によると、腹部のがんが転移し、もう手遅れになっていた。三谷さんももう長くないことを悟っていた。
松岡さんが病院に駆けつけると、ベッドに横たわる三谷さんは憔悴していたが、記憶ははっきりしていた。「三谷さんは顔を両手で覆い、『山のように積まれた死体を目にした、実に悲惨だった』と泣きながら訴えた。南京で目にしたすべてを記録するため、三谷さんは1時間半も話し続けた」
無意味な治療を望まない三谷さんは数日後、自宅に帰った。学術会議のため南京を訪れる予定だった松岡さんは、一週間後に南京から戻れば、再び訪問すると約束した。
松岡さんは8月31日、再び三谷さんの自宅を訪れた。三谷さんは当時、すでにろれつが回らなくなっていたが、「南京大虐殺について話そうと思ったのは、石原慎太郎氏が南京大虐殺を否定する発言をしたからだ」と語り続けていた。
三谷さんは幼いひ孫に、幼い頃の故郷について話した。当時の三谷さんはもう2週間も何も食べておらず、喉が渇けば柄杓で氷を割りなめていたという。