NATO首脳会議が28日、スペインのマドリードで始まった。傍観者から見ると、この旧冷戦の産物は現在、「新冷戦」の幕を開けようとしている。米誌「フォーリン・ポリシー」(電子版)の最新の文章は、今回のNATO首脳会議を「新冷戦」の形成を象徴するものとし、「日韓豪NZの首脳が今回の会議に初めて出席するように、まったく異なる冷戦が始まろうとしている。新たな戦線が敷かれようとしており、これは数世代続く可能性がある」とした。このやや悲観的な判断は、国際社会の現在の情勢に対する普遍的な懸念を反映している。
関連する報道はほぼ例外なく、NATOのいわゆる新しい「戦略概念」の中で、中国が初めて「挑戦」として位置づけられることに言及している。米国のサリヴァン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は、NATOは「中国がもたらす挑戦についてかつてない形で議論する」と述べた。しかし中国をどのように描写するかについては、各加盟国の間で「激しい議論」が展開された。
情報によると、米英の中国に対する強硬な態度と異なり、仏独などの国はより程をわきまえた慎重な文言により中国を描写すべきとしている。マクロン仏大統領は先ほど、NATOは「自己分裂」すべきではなく、また中国との関係で「偏見」を形成すべきではないと警告した。リトアニアとポルトガルの外交官も、米英の中国に対する過度な注意への懸念を表した。NATOには中国と直接国境を接している国がないからだ。この「激しい議論」そのものが、「中国はNATOの脅威」という説がどれほど馬鹿げているかを十分に示している。
客観的に見ると、NATOには30の加盟国があり、利益の主張と対外的な態度が完全に一致するはずがない。しかし米国の戦略的な意志が現在NATOに対して、より強い拘束力を発揮している。そのためNATOに加盟し安心しようとしている国は事実上、往々にして米国の属国もしくは駒になっている。その結果、彼らの安全環境が根本的に改善されないばかりか、むしろ予測不可能な悪化のリスクに直面している。NATOがその軍事・政治集団の性質を変えられず、その存在そのものが世界の平和と安定の脅威であるからだ。
中国の先賢・孟子には「君子危うきに近寄らず」という言葉がある。NATOは現在の世界における最大の危険要素と言える。
NATOは欧州の安全問題を直接生み、深刻化させている。ロシアとウクライナの衝突は、その悪い結果を現実的に示したものだ。集団防衛の名の下で絶対的な安全を求めようとする極端なやり方が、陣営の対抗に行き着くことは事実によって証明されている。言い換えるならば、NATOは決して欧州の安全の危機の治療薬ではなく、毒薬だ。この毒薬を「世界の平和的発展のオアシス」として東アジアにばらまこうとする行為は悪辣かつ悪質だ。
何はともあれ、日韓豪NZ、特に日韓はNATO首脳会議に出席するべきではない。これは非常に消極的な動向だ。この冷戦カラーが濃い、中国への敵意が強い大西洋を跨ぐ軍事・政治集会はアジア太平洋に何をもたらせるだろうか。何を失わせるだろうか。これは決して計算できないことではない。
NATOへの積極的もしくは受動的な歩み寄りは米国から褒められ、この軍事集団との関係を構築できるだろう。ところがアジア太平洋諸国の利益は、同地域の平和と安定の上に成り立つ。NATOのアジア太平洋化への迎合は自ら災いを招くことにほかならず、どのアジア太平洋諸国にとっても非常に愚かな選択だ。しかもこれは中国との戦略的相互信頼を損ね、犠牲を強いられる。
冷戦の汚水を絶対に太平洋に流してはならない。これはアジア太平洋の普遍的な共通認識であるべきだ。NATOと親しく付き合いながら、意図してかせずしてか冷戦の汚水をアジア太平洋に引き込めば、酒を飲んだのに飲んでないと言い張る運転手のようなものだ。欧州の安全は現在、どうしようもない膠着状態に陥っており、各国は解決の道を模索しようと努力している段階だ。アジア太平洋諸国は正確な姿勢で欧州の教訓を汲み取るべきだ。
今回のNATO首脳会議が示している各種傾向は間違っているだけでなく、危険でもある。アジア太平洋諸国にとって、「NATOのアジア太平洋化」への警戒と反対はしっかり直視すべき是非の問題であり、いかなる投機の余地もない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年6月29日