「哈日(日本の流行文化に興味を抱くこと)」は台湾の若者たちの文化的現象である
清華大学国際問題研究所の博士課程生・頼奕佑氏による「台湾人の対日観の移り変わりをどう捉えるか」という題名の評論文が月刊誌「中国評論」9月号に掲載された。作者は「台湾人の対日感情および親日・媚日行動が、戦時中の皇民化教育の影響によるものだとすれば、日本の植民地支配を受けなかった外省人(戦後、大陸から渡台した中国人)が、本省人(日本統治時代以前に台湾に住んでいた中国人)よりも、日本人タレントに熱狂している理由を説明できなくなる」「冷戦下において、台湾は日本および米国の外交・軍事関係に依存せざるを得ず、特に経済的には互いに依存し合う深い関係にあった。このような政治、経済の関係により、日本による台湾の植民地支配という悪のイメージを再認識させることになった」と主張している。
掲載された文章の内容を以下に紹介する。
日本の植民地支配と台湾人の対日感情
「皇民化教育」は成功せず
台湾人の親日感情は、日本が植民地支配時代に行った「皇民化教育」が源になっていると一般的に認識されている。だが、その前に歴史的な事実を見極めなければならない。台湾島は1895年に日本に割譲されたが、「皇民化教育」が行われたのは1936年の年末から日本が敗戦する1945年の8年間だけである。つまり日本が台湾を統治した半世紀のうち、最後の8年間分の記憶が、それまでの40年以上もの歳月に蓄積された、植民者(日本)のマイナスイメージを塗り替えたというのだ。1942年に行われた調査によると、当時の台湾人の中で「日本語を家庭内で使用する」率は全体の1%程度でしかなかった。また、日本姓に改姓した台湾人の数は非常に少なく、日本の「皇民化教育」が想像していたほどに上手くは進んでいなかったことがうかがえる。
日本統治時代の最後の8年間に台湾で日本語教育の普及が行われたが、皇民化教育の本質からすると、日本に対するマイナスイメージを台湾人から払拭することはできなかったはずである。戦後、日本が撤退し、国民党政府が台湾に遷り、軍人やその家族ら約100万人以上の渡台により、「外省人」と呼ばれる大陸出身者が新・台湾人として構成されることとなった。日本統治時代から台湾に住んでいた人(本省人)はともかく、日中戦争の戦勝側である彼ら外省人が、皇民化教育の成果である親日感情を持つはずはないのである。